大学の同級生だったテツandトモは、1998年にコンビを結成。2003年には「なんでだろう」で大ブレイクを果たすが、人生山もあれば、谷もある。テレビの露出が減ってからは、週刊誌やバラエティ番組で「消えた一発芸人」扱いされることもあった。

 ただしテレビでの露出は減っても、営業ではいつの時代も引っ張りだこだった。人々から愛され続ける2人の「魅力」はどこにあるのか?(全3回の2回目/#1#3を読む)

テツandトモの仕事が途切れないのはなんでだろう? ©深野未季/文藝春秋

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――2003年の大ブレイクとともに、紅白歌合戦出場という“最終目標”も達成。その後の仕事の状況と心境はいかがでしたか。

テツ テレビ出演は徐々に減りましたが、それは売れる前から予想していたこと。営業には呼んでいただけていたので、お客さんに必要としてもらえているという実感は保てました。

トモ 紅白後は一瞬燃え尽き症候群になりましたが、「今後どうしよう」という気持ちはゼロでした。僕たちは基本的に、生の舞台やイベントが好きなんです。テレビは自分たちを知ってもらえるとても大切なツールですが、冠番組を持つことを最終目標にしてなかったので不安にはなりませんでした。

テツandトモの仕事が途切れないワケ

――営業本数は、年間どのぐらいですか。

トモ 2003~2005年頃はテレビが忙しくて、年間100本ほど。その後はコロナ禍を除き、多い時で年間約200本です。

――あちこちから営業に呼ばれ続ける理由は何でしょう?

トモ どこかのお祭りで見た、ライブで見て面白いと思ってくれたとか……。

テツ とにかく口コミですね。1度営業に行った会場のスタッフさんが、別の企業の方に「テツandトモ、盛り上がってたよ」と話してくださったり。

トモ ありがたかったのは、テレビで「一発屋」として定期的に取り上げてもらえたことです。「旬じゃない」ことがネタになったお陰で、その後生まれた僕たちを知らない子どもたちにも「なんでだろう」を知ってもらえました。その積み重ねもあり、営業でも需要があったのではないかと思います。

 また2013年には、愛知県の町のお祭りでステージを観た方が、「テツandトモが規模に関わらず手を抜かずに頑張ってる」「お客さんも喜んでいた」といった記事を書いてくださったんです。記事が出た翌日から、またオファーが激増しました。

――2人を呼びたくなる理由の一つとして、「安心感」は大きなポイントかと思います。

取材中もカメラマンにおどけるテツさん ©深野未季/文藝春秋

トモ コンビ結成時、どういう芸を目指すか2人で話し合った際に、まず「下ネタはやらない」と決めました。目標は、子供からおじいちゃんおばあちゃんまで楽しめる芸をすること。ただ、ブレイクしても、当時は「毒がなくて面白くない」と散々言われましたけどね。

テツ 言われましたねえ。