テツandトモが、「なんでだろう」で流行語大賞を受賞してから20年――。
同作は2003年1月にアニメ『こちら葛飾区亀有公園前派出所』のエンディングテーマに起用され、子供たちの間で大ヒット。シングルCDは20万枚超えを記録し、NHK紅白歌合戦の出場にもつながった。
忙しすぎて「当時のことはあまり記憶がない」という2人に、その「売れっ子ぶり」を振り返ってもらった。(全3回の1回目/#2、#3を読む)
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33歳で大ブレイク! 「なんでだろう」誕生秘話
――2003年は、「なんでだろう」が大ブレイクした1年でした。33歳になった年ですね。
トモ 僕たちが縁あってお笑いの世界に入ったのは、どちらも27歳の時と遅め。「お笑い」の作り方が全然わからず、漫才とかコントとか、やってみたけどどれもパッとしませんでした。最終的にテツが元々、歌手志望だったこともあって歌ネタをやろう、それで駄目だったらもう辞めようと決意したんです。
――背水の陣で、歌ネタにたどり着いた。
トモ 歌ネタも最初は時事的なトピックで作ってみたけど、まるでウケず(笑)。模索していたら、あるあるネタで面白い芸人さんたちを見て、そういった共感性の高いものも取り入れられたらウケるかもなと思いました。
ある時、お手洗いで「仮面ライダーいつ免許取ったんだろうな、無免許だったら面白いな~」なんて考えていたら、現在の「なんでだろう」のメロディがふと浮かんだんです。Q&Aスタイルで、最初にできたネタは「テツの顔が結構長いのは、なんでだろう~?」でした。
テツ 「それは遺伝だろう〜♪」とか答えたりね(笑)。おでんとか感電とか、デン繋がりの言葉遊びもいろいろ試しました。ただ手の動きは、メロディを聴いた時にビビッと自然に降りてきたんです。
――歌ネタのなかでも、試行錯誤を重ねたんですね。
トモ それまでずっと落ち続けていたオーディションに受かるようになったのは、小学校時代のあるあるネタを「なんでだろう」にしてからです。
テツ 同時に、わざわざ答えを言い切らなくてもいいんじゃないかということで、なんでだろうを繰り返しながら、合いの手を加えていく形ができました。
――結果、ブレイクにつながるわけですが、「オレら売れ始めたな」と実感し始めたのはいつ頃でしたか?