トモ 2002年2月に、『めちゃ×2イケてるッ!』内の企画の「笑わず嫌い王決定戦」に出演したら、若者たちにブワァーッと広まりました。さらに同番組でコーナーを持たせていただくと、何か感覚が今までと違うなと思うことが増えました。その頃は学園祭も毎年40校ぐらい行きましたね。
テツ 1日3校とかもありました。イベントでも、今までとは桁違いのお客さんが見に来てくださる。それを目の当たりにして、変化を感じました。
「なんでだろう禁止令」が出た学校も
――ターニングポイントは2002年だったんですね。
トモ その年の『M-1グランプリ』に出場(6位)し、2003年1月から『こち亀』のEDで起用されると、さらに広い層に広まりました。
テツ デビュー翌年から出させていただいていた『爆笑オンエアバトル』は深夜帯だったし、コアなお笑い通の人が見るような番組。ゴールデンの『めちゃイケ』に出たことで、急に認知度がバーンと上がりました。
『こち亀』に起用されてからは、幼稚園ぐらいのお子さんに一気に火がつきました。主人公の両さんが「なんでだろう」を踊ってくれたのを、皆さんが真似してくれたんです。さらに年配の方も、孫が真似てるのは何だって興味を持ってくださいました。
当時は情報番組や『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)のような音楽番組など、バラエティ以外の番組にもよく呼んでいただきましたね。
――段階的にさまざまな層のファンを着実につかみ、やがて社会現象に。子供たちにも広まったな、と実感したエピソードはありますか?
テツ ある学校で「なんでだろう禁止令」が出たという記事が新聞に掲載されたことがありました。あまりにもみんなが学校で「なんでだろう」をやるから、授業の妨げになってしまったようです(笑)。テレビの影響力の凄さに衝撃を受けたのは覚えています。
トモ 今はSNSが発達したから、売れてから飽きられるスピードはあっという間。でもあの頃は、一度売れると結構長かったんですよね。