地方の貧困家庭で育った、ノンフィクションライターのヒオカさん(27)。さらに、幼い頃から父親の暴力を受けて生活を送ってきた。

 2022年9月には自身の壮絶な人生を綴った著書『死にそうだけど生きてます』(CCCメディアハウス)を上梓し、反響を呼んでいる。そんなヒオカさんに、長年貧困問題を取材し、自身も貧困・虐待家庭で育った吉川ばんび氏が話を聞いた。(全2回の1回目/2回目に続く)

ノンフィクションライターのヒオカさん ©釜谷洋史/文藝春秋

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物心つく頃にはすでにDVがあった家庭環境

――ご自身が育った環境について、教えてください。

ヒオカさん(以下、ヒオカ) 生まれ育ったのは中国地方の、超が付くほどの田舎です。私が小学校に上がる前くらいに父と母、姉と一緒に県営住宅へ引っ越して、家族4人で暮らしていました。

 いわゆる団地なんですが、その団地には「最貧困層」が集っていて。隣人の刺青と火傷の痕がすごかったのを覚えています。うち以外のファミリー層は、基本的にひとり親家庭で、どこも問題を抱えているようでした。

 うちでも物心つく頃にはすでに、父が母を殴ったり怒鳴ったりしていて。私や姉が見ていてもお構いなしで、母が目の前で殴られる光景を見続けるのがとにかく辛かった。いまだに男性の怒鳴り声がすると、体がすくんでしまうくらいトラウマになっています。

「虐待されていた」なんて言っちゃいけないと思っていた

――お父さんは、お母さんをどういった理由で殴るのでしょう。

ヒオカ きっかけは小さなことでした。「仕事のために早く寝たかったのに、夕食を出すのが遅い」とか。いつもの時間よりたった5分遅くなるだけでも怒鳴ったり殴ったりするんです。

――今でこそ、子供の目の前でのDVが「虐待」だと認知され始めていますが、その頃は世間でもそういった認識は薄かったので、周囲の理解も得られにくいですよね。

ヒオカ そうなんです。私自身が殴られているわけではなかったので、数年前まで自分でも「家庭に虐待があった」という認識は持っていなくて。もっとひどいことをされている子ってたくさんいるじゃないですか。熱湯をかけられたり、アザができるほど殴られたり。

 だから心のどこかで「自分はまだマシなほうだから、『虐待されていた』なんて言っちゃいけない、書いちゃいけない」と思っていました。