言葉はなくなったのではなく「ある」から回復する
タケシ 手術のあと、人工呼吸器が取れてから初めて面会に行ったとき、彼女は「お母さん」と「わかんない」の2語しか話せなくて、「お母さんだからわかんなくてお母さんなのよー」って言ってゲラゲラ笑っていたんです。こういうことってよくあるんですか?
小嶋 手術してすぐの時期というのは、錯乱状態……すごく悪い言い方をすれば、脳が酔っ払っているような感じなんです。だから、必ずしも、楽しいと思っていたかどうかはわからない。麻酔から覚めたばかりで興奮していて、脳が大混乱になっているときの1つの症状の可能性が高いですね。
ちなみ そうだったのか。
タケシ 最初はその2語だけだったんですが、日を追って語彙が増えていきました。
小嶋 語彙が「増えていく」というのは、印象としてはそうなんですけど、大人の失語症の回復というのは、子供が言葉を覚えていくときとはちょっと違います。「出にくくなっていた言葉が、再び出るようになっていく」というイメージです。
もし本当に一旦なくなってしまったとしたら、言葉を取り戻すことはそう簡単ではありません。残念ながら言葉というのは、生後ある特定の時期じゃないと習得できないというのが遺伝子で決まっているんですね。なぜ失語症が回復するかというと、実は言葉が「ある」から回復するんですよ。
ちなみ 「ある」けど出てこない。
小嶋 そうなんです。私たちの仕事は、なくなったものを1つ1つ脳に再インストールすることではなくて、先ほども言いましたが、出にくくなったものをどうやって出るようにするか、ということなんです。
タケシ 当時の録音テープを聴くと、何を言ってるかよくわからない中に、「全然オッケー」「なんつったかな」みたいな、はっきりとわかる言葉が入っていたんです。それが「語彙が出てきた」ということなんですか?
小嶋 そこもまた難しい。「全然オッケー」のような紋切り型の言葉は、本当に考えて出てきているとは限らないわけです。「痛っ!」という言葉と同じくらい反射で出ている可能性もあります。文筆家が血の滲むような思いをしてつむぎ出すときの言語と「あざ~す!」みたいに出てくる言葉は全然違うんですよ。
ちなみ そうなんだ(笑)。
小嶋 それらは「自動的な言語」とか、「情動的な言語」と言われるもので、100年以上前の論文にも出てきます。一言もしゃべれない人が「こんちくしょう!」と言ったという、フランスの歴史的な著書もあるんです。あとは、実用的な言葉は全然出てこないのに、聖書の言葉や落語の「寿限無」がスラスラ言えたりするという例もあります。
ちなみ 面白いですね。