単語は浮かんできても「綴り」が思い出せない
小嶋 言語にはそういう不思議なことがあるんですが、清水さんの場合はその逆で、言葉がすぐそこまで出かかっているけれど、うまく音にできないというパターンでした。
ちなみ 私、「ネコ」が「コネ」になったりとか、言葉が逆転していましたよね。
小嶋 してました。それと清水さんの当時の「標準失語症検査」の結果を見ると「書く」の項目の得点がちょっと低かったですね。
ちなみ (紙に描かれた折れ線グラフを見て)わ、本当ですね!
小嶋 書くといってもいろいろあります。そもそも書きたい内容が思い浮かばないから書けないこともあるし、内容は思い浮かぶんだけど、どういう単語で表現するかがわからないから書けないこともあるし、単語もそこそこ浮かんでくるんだけど、綴る規則を忘れてしまっていることもあります。清水さんの場合は、「綴り」を思い出すのが大変でした。
ちなみ そうでしたねー。
小嶋 一切打てなくなっていたワープロが打てるようになるまで、一緒に努力したんですよ。失語症のセラピーには、理論はありますが、「完全攻略マニュアル」のようなものはなくて、セラピストと患者さんが二人三脚で試行錯誤して作っていきます。清水さんといろいろとやっていくなかで、ワープロのキーボードの図表をプリントアウトして……。
ちなみ はいはい。あの紙のキーボード、たぶんまだ家にありますよ。
小嶋 記録によると、2013年4月18日から紙のキーボードを使った練習を始めています。「あいうえおから場所を覚えましょう」とやっているうちに、みるみる調子がよくなって。言葉とキーボードの対応が崩れていたんですよね。それが治ってきて、ずいぶん打てるようになりました。
ちなみ おかげさまで。
「たばなた……たばなばたば……」
小嶋 清水さんの場合、専門用語を使うと、「音韻処理能力」がネックになっていたんですが、かなり回復しました。音韻というのは、簡単に言うと、日本語の場合「あいうえお」のことで、それは同時に仮名でもあるんです。
たとえば「『たなばた』と漢字で書いてください」と言われた場合、あの7月に飾る笹のやつだなと思って、「七夕」という漢字が浮かびます。そういう脳の回路は、わりと壊れにくいんですよ。ところが、「『たなばた』と平仮名で書いて」と言われると、言葉の意味はわかっても、「たばなた……たばなばたば……」になってしまう。
ちなみ ……なってました。
小嶋 それが清水さんの障害ポイントで、音がバラバラになって、一文字目はなんだっけ? 二文字目はなんだっけ? と、ごちゃごちゃになってしまう。日本語で文章を書く場合、どうしても仮名の部分があるので、ちゃんとした文章で日本語を綴るとなると、音韻の処理ができないとダメなんです。それがものすごく大変だったんですよ。「デザイナー」と言おうとして「ゼダイダー」と言ってしまうとかね。
ちなみ そういうことは今でもあります(笑)。
しみずちなみ/ 1963年生まれ。青山学院大学文学部卒業後、OL生活を経てコラムニストに。著書に『おじさん改造講座—OL500人委員会』(文春文庫)など。
こじまともゆき/ 1958年生まれ。言語聴覚士・医学博士。武蔵野大学大学院人間社会研究科教授。2006年「市川高次脳機能障害相談室」を開設。編著書に『失語症のすべてがわかる本』(講談社)など。