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《なぜか、素直な性格の役が少ないんですけど、その星の下にあると受け入れていて(笑)。ただ、私自身は変わった役ほど興味を抱く性格で、簡単に受け入れられなさそうな人物であるほど愛着が湧いてくるんですね。『がんばれ。私は理解者だぞ』と思って台本を読みますし、この年齢でひと癖ある役を演じさせていただくこと自体、勉強になることばかりなので、ありがたさしかないです》(『キネマ旬報』2019年9月下旬号)

渋すぎる「意外な趣味」

 京都出身の吉岡は、家族が映画やドラマ、舞台が大好きで、ときには大阪まで足を延ばして観劇に出かけたり、週末にはよく能や歌舞伎を観に連れて行ってもらったりしたという(『婦人公論』2018年3月13日号)。いまでも公式プロフィールで趣味として「新派観劇」を挙げているのが渋い。

©時事通信社

 育ったのが、映画各社の撮影所が所在する太秦だったことも、その後の人生に少なからず影響を与えている。本人によれば《よく映画村にも遊びに行きましたし、近所のお店で役衣装を着たままの人がお昼ご飯を食べていたりする環境が、知らず知らず自分の意識を映画へと向けてくれた》という(『吉岡里帆コンセプトフォトブック 13 notes#』東京ニュース通信社)。

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 俳優を目指す直接的なきっかけが訪れたのは、大学に入ってからだ。バイト先にエキストラ会社の代表が来て、人が集まらないと嘆いていた。ちょうど夏で、炎天下のなか撮影所で7~8時間立ちっぱなしという過酷な条件にもかかわらず、手伝うことになる。それは宮﨑あおい主演の映画『天地明察』(公開は2012年)の撮影だった。クライマックスの場面では宮﨑のすぐ近くに自分がいるとテンションが上がり、作品が完成すると、エンドロールに自分の名前が流れるのを映画館で見て感動する。

 そればかりではない。このときの現場では自主映画をつくっている同い年の子と出会い、自分の映画に出てくれないかと誘われた。ここから芝居への興味が深まっていく。のちに吉岡は《この映画のエキストラをしなかったら、まったく違う人生だったというくらい、運命的な現場だった》と振り返っている(『13 notes#』)。

『吉岡里帆写真集 里帆採取 by Asami Kiyokawa』(集英社)

深夜バスで京都と東京を往復する日々

 以来、学生時代を通して自主映画や小劇場の舞台に出演し、同じ志を持った仲間たちと作品をつくりあげることにすっかりのめり込んだ。一方で、大学卒業後も芝居を続けていきたいと思い、個人でもオーディションを受けたり、東京の俳優養成所に通ったりとアプローチを始める。自分はスタートが遅かったので俳優になるのは難しいかもしれないと不安もあったが、夢をつかむべく深夜バスで京都と東京を往復する日々を送った。