生まれたままの姿でニッコリと微笑む、うら若き女性。そのかたわらには、時にポエミー、時に露骨な言葉が添えられている。
1990年代以降に美少女コミック誌を手に取っていた者ならば、それらの読者ページで必ずや“彼女たち”の姿を目にしたはずだ。
イラストの投稿主の名は、三峯徹(55)。30年にわたって美少女コミック誌にイラストを投稿し、伝説のハガキ職人として2010年に『タモリ倶楽部』に出演、2020年には「ヤングコミック」で伝記漫画『少年画報社版 学習まんが 少年少女人物日本の歴史 三峯徹』の連載がスタート。
そんな彼にタモリに会うよりもコミケ参加を選んだ『タモリ倶楽部』出演時の裏話、家族に身バレした瞬間、今後の投稿人生などについて、話を聞いた。(全2回の2回目/最初から読む)
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風邪を引いてしまい、『タモリ倶楽部』の見学を断ることに
――『タモリ倶楽部』の番組見学を断って「タモリさんよりもコミケを取った」とスタッフ間で囁かれたわけですが、三峯さんとしてはコミケを取るに決まっていると。
三峯徹(以下、三峯) いまはわかりませんが、当時の『タモリ倶楽部』は撮影日が放送日の2ヶ月前なんですよ。たしか、放送が10月だったので8月に俺の家に撮影しにきてくれたんです。で、よかったら収録する際のスタジオで番組を見学してくださいと言ってもらって。
スケジュールを調べたら、見学日が土曜で、コミケが金曜日、土曜日、日曜日、その前の火曜日、水曜日、木曜日が実家の家族と旅行だったんですね。これなら見学できるなと思って、旅行中に『タモリ倶楽部』のスタッフさんたちへのお土産もちゃんと買っておいて。だけど、旅行から帰って金曜日に思いっきり風邪を引いてしまったんですよ。
日曜のコミケはサークル参加しているので、俺のファンの方々も楽しみにしているはずだと。『タモリ倶楽部』は見学だけで、俺が出るわけじゃないと。見学に行っても風邪でヨレヨレだし、さらに風邪を悪くして日曜のコミケにすら行けなくなるかもしれないって。
どっちを取ろうか悩みまくったけど、コミケでファンをガッカリさせたくないなと。それで、渋々お断りの電話を入れたんです。
「タモリ倶楽部」出演の裏側
――苦渋の決断だったのですね。出演はどういった経緯で。
三峯 浦嶋嶺至先生という、俺のことを注目してくれていた漫画家さんがいまして。それまでにも俺を自分のイベントに呼んでくれたり、俺の画業20周年イベントでいろいろしてくださったんですけど、その浦嶋先生が『タモリ倶楽部』を制作している会社の人と知り合いだったんですよ。それで俺を推してくれたのかな。