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 ちなみにフジテレビの買収に乗り出す直前の2004年9月期の売上高は308億円である。「ホリエモン」となった堀江の異変は、メディアへの露出とともに一気に加速していったように見えた。

「常に軸足を経営に置きながら(テレビ出演で)宣伝をやっていたのに、政治にいったあたりからなんだかよく分からないようになっていましたね。まるで糸が切れた凧みたいに」

 藤田はこの頃の堀江に対して「堀江さんは同世代で初めて焦りと嫉妬を感じた相手でした」と認めている。従来の企業経営者の枠に収まりきらない破天荒な言動で常に世間の耳目を集める堀江流の経営スタイルを目の当たりにして「引き離されてしまった」という感覚を覚えたというのだ。

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 そこに垣間見えた、言い様のない違和感――。導火線にともされた火はジリジリと燃えながら堀江に近づいていた。誰にも気づかれることなく、静かに、だが着実に。

 ラスベガスへは堀江のプライベートジェットに同乗したが、帰路は別々だった。日本に着いた頃には、すでに正月気分も抜けつつある。

 その頃――。霞が関の東京地検特捜部では、「獲物」を追い込むための作業が大詰めを迎えていた。

「迷惑なんだよね」電話口で突然の豹変

 その時は突然やって来た。1月16日午後。誤報かと思われたNHKによる「東京地検特捜部がライブドアを家宅捜索した」という一報が、現実のものとなった時には、すでに日が暮れていた。

 六本木ヒルズ38階のオフィス。机の上の資料やパソコンが次々と段ボール箱に詰められて持ち去られていく。当初はわけが分からず係官にかみついていた堀江も、なすすべがなくその光景を目の前で見ているしかない。

東京高検への出頭を前に、記者の質問に答える堀江氏 ©共同通信社

 中国・大連に出張中だった宮内(編注:宮内亮治。当時のライブドア取締役)のもとに断続的に届く情報も、いまいち要領を得ない。部下の携帯電話も押収されたのか、次第に東京とは連絡がつかなくなってしまった。ただ、「過去の赤字会社に関するM&Aで疑いが持たれている」「風説の流布や偽計取引の疑いがかけられている」といったことが断続的に伝わってきた。

 当初は堀江がまた何かやらかしたのかと思っていたが、どうやら疑惑の視線は宮内自身が管轄するファイナンス部門に向けられているらしい。そこで宮内には気がかりな人物がいた。

 野口英昭だ。

 野口はオン・ザ・エッヂ(編注:ライブドアの前身となった会社)時代に上場作業を進めるため、宮内が証券会社から引き抜いた人物だ。オン・ザ・エッヂに入る条件として野口が投資ファンドの設立を提示し、宮内のゴリ押しで堀江が渋々ながら追認した。

 野口は投資ファンド「キャピタリスタ」の社長となったが、堀江とソリが合わず、すぐに退職してしまった。ただ、その後にエイチ・エス証券に転じてからも自らが代表を務める「HSインベストメント」を通じてライブドアの複雑なM&Aに深く関わっていた。

 やはり、というべきか野口の会社にも捜査の手は伸びており、携帯電話はつながらない。ようやく連絡が取れたのは強制捜査が入った翌日の17日になってからのことだ。