今や日本で最もよく使われるSNSアプリとなった「LINE」。若い世代を中心に、重要な連絡手段の一つになっている。
ここでは、日本経済新聞編集委員の杉本貴司さんが、ネット革命時代を歩んだ人々のドラマを紐解く『ネット興亡記 ②敗れざる者たち』(日経ビジネス人文庫)より一部を抜粋して、「LINE」サービス誕生の裏話に迫る。
2011年3月、韓国の検索サービス「NAVER」の日本進出が10年以上もうまくいかず、創業者の李海珍(イ・へジン)と李に日本進出を任されたエンジニアの慎重扈(シン・ジュンホ)は、日本から撤退するかどうか酒の席で話し合っていた。東日本大震災が起きたのは、その翌日だった――。(全2回の2回目/ライブドア編を読む)
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東日本大震災
慎と李が深夜まで語り合った翌日の3月11日。午後2時46分、激しい揺れが東日本を襲った。
大崎駅前のビルの23階に入るNHN(編注:NHNジャパン。NAVERの親会社)のオフィスも揺れに揺れた。慎が座る机の隣の開閉式の壁が揺れのせいで飛び出してくる。この日は李の出張に合わせて韓国からの出張者も多かった。地震には慣れているはずの日本人でさえ経験したことがないような揺れだ。振動が止まらないオフィスに、悲鳴が響いた。
「すぐに階段で逃げるぞ」
慎が叫べば、舛田(編注:舛田淳。検索エンジン事業を担当していた。現在はLINE株式会社・取締役)は「いや、待って! まだ建物から出ちゃだめです」と大声で制する。ようやく揺れが収まると、パソコンに向かう島村(編注:島村武志。「NEVERまとめ」サービスの担当をしていた。現在はLINE株式会社・取締役)の姿が目に入った。
「これ、NAVERまとめにまとめた方がいいよ」
「もうやってますよ!」
完全にスイッチが入った状態のまとめチームを横目に、まずは地震に驚く韓国人出張者を、慎が運転するクルマで帰すことになった。この時、出張者の多くがあるメッセンジャーツールを使っていた。この時から1年前に韓国で生まれた「カカオトーク」である。本国にいる家族や友人には、カカオトークを使って自分たちが安全に退避していることを伝えていたのだ。
一方で、日本人社員の多くがまずは家族や友人にスマホで電話しているが、なかなかつながらない。慎も東京・用賀の自宅にいるはずの妻と連絡が取れなかった。ようやく連絡がついたのは、マイクロソフトが提供していたMSNメッセンジャーを通じてだった。
この時の体験が後に「LINEは東日本大震災で生まれた」という伝説につながるのだが、実はその前から希望の種はまかれていた。