ファンドによる取引に何か問題があったのか。
そう問う宮内に、野口は「ファンドの件は全然問題ないよ」と答えたという。宮内は少しほっとすると、そのまま帰国の途に就いた。
その日の夕方、帰国した宮内は再度、野口に電話を入れている。すると、野口の口調が一変していた。
「迷惑なんだよね。あなた方が……」
普段は丁寧な話し方の野口のあまりの豹変(ひょうへん)ぶりに驚いた宮内は、このひと言がずっと頭に残っていたという。
早朝に自宅のチャイムを鳴らしたのは…
強制捜査が入ってからというもの、堀江と宮内は24時間態勢でマスコミに追われることになった。二人は職場のすぐ隣に立つ高層マンションの六本木ヒルズレジデンスに住んでいたが、歩けば5分ほどのオフィス棟まで、二つのビルの地下駐車場から車で行き来することになった。もちろん、マスコミの目を逃れるためだ。
取引先などからはひっきりなしに説明を求める連絡が入る。ただ、この時点では東京地検特捜部の狙いがどこにあるのか、いまいち判然としない。当然、仕事にならないが、事後対応に忙殺されるうちに一日が終わる。テレビをつければ延々とライブドアに関する情報が飛び交っている。
強制捜査から2日後の2005年1月18日。今度は株式市場が大揺れに揺れていた。この日は朝から株式市場で全面的に売りが殺到し、午後になると東京証券取引所はシステム処理の能力が限界を迎えつつあった。
東証は全銘柄の売買停止という異例の処置に出た。日本の株式市場の中枢が突如としてストップした、いわゆる「ライブドア・ショック」だ。
東証が異例の決断を迫られていた、ちょうどその頃――。
場所は変わって六本木ヒルズ38階。平松庚三はライブドア本社が入るフロアの一室に呼び出されていた。平松は2004年にライブドアが買収した会計ソフトの「弥生」の社長で、買収後はライブドアの上級副社長も兼ねていたが、その部屋へのアクセス権がなかったため、足を踏み入れたのはこの日が初めてだった。
通称「容疑者ルーム」。平松を呼んだ堀江自らが招き入れたその部屋は、社内でこんな名で呼ばれていた。堀江や宮内が捜査を進める検察への対応を練るために使っていたからだ。
部屋の真ん中に置かれたテーブルの上にはバケツが置かれている。中には山盛りのタバコ。堀江はタバコを吸わないが、宮内が愛煙家だったのだ。部屋の「主人」である堀江が、いつになく改まった口調で平松に告げた。
「万が一の時はライブドアをお願いします」
平松にとっては、青天の霹靂だった。
早朝に宮内の自宅のチャイムが鳴ったのは、その翌朝のことだった。宮内が玄関のドアを開けると、そこに立っていたのは堀江だった。前述の通り、宮内と堀江はともに六本木ヒルズレジデンスに住んでいたが、堀江が宮内の自宅に来ることなど皆無だった。しかも早朝のことである。
「落ち着いて聞いてください。野口さんが亡くなりました」
「え、どういうこと?」