「パネッパー!」――巧みな話術と美しいタオルさばきで今日もサウナ客を沸かす熱波師・井上勝正(53)。“サウナ界のカリスマ”として知られる彼だが、今日のような熱波師として活躍するまでには、壮絶な人生があった。
実家の借金、父の自殺、プロレスラー廃業……彼がサウナに救われるまでの険しい道のりを、五箇公貴氏の新刊『サイコーサウナ』より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)
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初めての水風呂はヤクザの親分に教えてもらった
生まれは大阪の生野区。うちは貧乏で、内風呂がなく毎晩お風呂屋さんに行っていました。当時は町内に10軒以上銭湯がある時代。僕が10代の頃には、一斉に銭湯がリニューアルを始めて、サウナが付いたんです。
最初に入ったときは、ヤクザがわーっと座ってて。「お前らサウナで静かにせえよ」「しゃべるな」とかいろいろ教えてもらったんです。あるとき、ヤクザの親分が「最初に出たやつ10万な」って言い出して。いま考えれば冗談だとわかるんですが、当時はとにかく頑張って長く入りました(笑)。
で、ようやくサウナから出られることになり、そのまま上がろうとしたら、親分に「おぉ待て待て」って止められたんです。「サウナから出たら水風呂や。入れ」。すると親分は水風呂にザブッと首まで浸かり、上がると椅子に座ってボサーッとしているわけですよ。僕もとりあえず、見よう見まねで同じようにしてみたら、「あ、なんか気持ちいいな」って。
それが僕の水風呂初体験でした。それから風呂に行くたびに親分に会うようになり、ある日、腕に彫ってある女の人の名前をじーっと見てたら、「これ、死んだ女房なんだよ」って。ほかにも変わった人がいましたよ。『うる星やつら』のラムちゃんを彫ってるおじさんとか(笑)
学校ではいじめられ、家では父親に殴られて
小学校4年ぐらいからすごいいじめに遭うようになって。子供同士の集団って自分たちとちょっと違うやつをはじこうとするじゃないですか。それがもう、毎日毎日。嫌で仕方がなかった。
中学へ行ってもまたいじめ。先生も庇ってくれず、挙句の果てに「落ちこぼれはいちばんいらない」ってはっきり言われました。不良はなんだかんだ構ってもらえるんですよ。でも僕みたいに勉強ができない「落ちこぼれのいじめられっ子」がいちばん面倒くさかったんでしょうね。そのうち学校へ行かなくなっちゃったんです。
とはいえ、家に居ることもできなかった。家業は印刷業だったんですが、バブルの頃からどんどん中国に仕事を取られるようになって、生活もどんどん苦しくなった。それにつれて、親父もあんまり仕事をしなくなり、毎晩飲むようになったんです。
で、飲んで帰ってくると説教をされる。学校に行けと殴られ、引きずり回され。それでも僕は頑として学校へ行きませんでした。そんなある日、なにかのきっかけで僕が家で騒いだんです。
そうしたら親父が僕の首を手でグッと絞めるように持ったんです。無表情で。そのままずっと僕を見てるから、僕もなにも言わずにずっと親父の顔を見て。すごく長い時間に思えましたけど、ほんの数十秒の出来事だったのかもしれない。しばらくしてパッと手を離すとなにも言わずに行っちゃったんです。いまでも鮮明に覚えてます。ああいうときって声も出ないんです。