今年の箱根駅伝を盛り上げた一角は、中央大学だった。
エースの吉居大和(3年)が2区で駒大、青学大と激しい争いを繰り広げた末にトップでたすきを渡し、往路を大いに盛り上げた。総合でも2位に入り、藤原正和監督は「ようやく中大がいるべき場所に帰ってこられました」と話した。
中大は歴代最多の総合14回の優勝を誇る名門だが、2016年に藤原正和監督が就任した時はどん底で喘いでいた。
「私は2016年のリオデジャネイロ・オリンピックのマラソンへの出場を狙っていましたが、ケガで最終選考レースに間に合わせることができませんでした。引退を決意して社業に専念するつもりでいたのですが、そのタイミングで監督就任の打診をいただいたんです」
藤原監督は2003年に中央大を卒業した。学生時代は1年生で5区の山上りを担当し区間賞。4年生では2区で区間賞を獲得し、卒業間際に出場したびわ湖毎日マラソンでは2時間8分12秒の学生最高記録を樹立した(この記録は未だに破られていない)。その後Hondaに入社し、世界陸上の代表にも選ばれている。
「35歳まで現役を続けましたが、どうやら、それ以前からHondaの方に中大から監督の打診が来ていたようです。それでもオリンピック出場を目指していましたので会社の方が気をきかせてくれて、私のところまで話は下りてきませんでした」
監督に就任してみたら「いろいろと話が違ったんです(笑)」
しかし現役引退によって状況は動く。2016年2月下旬に中央大学、Hondaの関係者5人が集まって監督就任を依頼された。
「母校は苦しんでいました。箱根駅伝のシード権を4年連続で獲得できていない状況でしたので、中大をなんとかしたいという思いはありました。必要とされていることもその席で伝わってきました。軽い気持ちで受けたわけではありませんが、断るという選択肢もなかったように思います。“流れ”ができていたと言えるかもしれません」
こうして3月、正式に藤原監督の就任が発表される。しかし、それからが大変だった。監督の立場からすると、「いろいろと話が違ったんです(笑)」という。 まず、想像していたような雇用契約を結ぶことが出来なかった。