藤原正和監督が就任した2016年、87回連続という箱根駅伝の出場記録が途切れたどん底の中で、監督と中央大学当局が合意したターゲットがあった。
2024年、第100回箱根駅伝優勝。
このミッションを達成すべく大学は予算をかけ、監督は現場で指導し、優秀な学生を獲得するためにリクルーティングに足を運ぶ。そして与えられた予算を最適配分し、合宿計画を練っていく。
それでも、すぐに結果が出るわけはない。結局、箱根駅伝のシード権を再び獲得できたのは2022年、藤原監督の就任6年目のことだった。
「戦力的には2年目が苦しかったですね。それでも私自身が声をかけ、中大を選んでくれた学生が入学してくるようになった手応えもありました。徐々に“土壌改良”が始まった年だったともいえます」
1年生でキャプテンに指名した舟津を、3年生で交代
そこから部内運営も、試行錯誤。2016年に1年生キャプテンに指名した舟津彰馬についても、競技者として成長してほしいと3年生の時に主将の任を解いた。
「意図を100パーセント理解してもらえなかったのは承知しています。舟津だけでなく、同級生たちも『外された』と感じてしまったのでしょう。彼らに『自分たちは見捨てられた学年』という気持ちを持たせてしまったかもしれません。浦田(春生)前監督に勧誘されて、浦田さんの指導を仰ぎたいと思って中大を選んでくれたのに、入学してみたら新しい監督が現れた。そして1年生の時に舟津がキャプテンになり『自分たちが中大の歴史を変えるんだ』という覚悟を持っていたのに、3年生になって舟津がキャプテンから外されてしまったわけですから」
藤原監督と舟津たちの学年との間には、微妙な距離が生まれたという。もちろん、舟津との関係も円滑とはいかない。
「舟津が2年の頃までは同じビジョンを共有していたと思います。ですがキャプテンの任を解いてからは少しギクシャクしていました。練習メニューを渡しても素直に受け取ってもらえなかったこともありますし……」
2020年、中央大学は箱根駅伝の出場を果たすが、舟津自身は最後の箱根を走ることはかなわず卒業していった。藤原監督はいう。