深夜でも視聴率10%超
すべては歴史に興味のない人にも見てもらうためだった。20世紀という時代は、学校でまともに教わっていない。縄文や弥生文化、平安朝、江戸時代の農機具にはくわしいのに、20世紀のことはほとんど学ぶ時間がない。そうした人をテレビに誘い込むためにどうすればいいのか。視聴者は勉強したいと思ってテレビの前にいるわけではない。エンターテインメントでなければ、見てくれない。「理屈も分析も不要、映像で語る」という河本さんのテレビ屋精神は、歴史に興味のない人も見事に誘い込んでいった。放送のたびに番組は大きな話題となり、深夜帯の再放送でも視聴率が10パーセントを超えるということもあった。
そして第1シリーズの20年後、2015年から放送したのが、第2シリーズ「新・映像の世紀」である。私が制作に携わったのはここからである。再び「映像の世紀」を制作することになったのは、冷戦終結後の世界で情報公開が進んだこと、そしてインターネットの普及である。
第1シリーズの時代では、海外アーカイブス映像の検索は現地に足を運んで延々と試写室にこもって行っていた。欲しい映像が見つかればフィルムからVTRにコピーしてもらい、航空便や船便で送ってもらう。それが、インターネットの普及で劇的に変わった。世界各地のアーカイブスが整備したデータベースを検索し、注文した映像がネットで瞬時に送られてくる。「新・映像の世紀」は全6本で、第1シリーズの11本よりも少ないが、こうした環境の変化、技術の進歩で、扱った映像は、おそらく5倍くらいに増えていると思う。
新シリーズの制作にあたり、衝撃的な第1シリーズとどう差別化していくか、そのフォーマットを継承しながらどう新しさを打ち出していくか、知恵を絞った。そこで掲げたのが、「人間ドラマ」ということだった。前シリーズが歴史の表舞台を淡々と描いてきたのに対して、新シリーズでは、歴史を動かしてきた主役や脇役たちに焦点をあて、人間ドラマを通して歴史の深層に切り込んでいきたいと考えた。
人間ドラマというのは、たとえばこういうことである。新シリーズの第1集で第一次世界大戦を描くにあたり、主人公としたのは、イギリスの情報将校、アラビアのロレンス。彼のアラブへの裏切りがいかに現在に至る火種を蒔いたのか。第2集で取り上げたのは、1920年代狂乱のアメリカ。そこでスポットを当てたのは、石油で財をなしたロックフェラー家である。その強欲がいかに世界に資本主義を広げていったのかを描こうとした。
続編の宿命を乗り越えて
しかしながら、ふたを開けてみると、なかなか厳しい批判が寄せられた。「淡々としたナレーションが持ち味だったのにナレーションが押しつけがましい」、こたえたのは、「この20年間にNHKの制作能力がいかに衰退したのかを示している」という指摘だった。
実際20年前のシリーズを担当した河本哲也さんに、「新・映像の世紀」の第1集放送後に感想を聞いたことがある。
「20年ぶりに懐かしい店に入ったのに、カレーの味が違っていたということなんだよ。番組の良し悪しとは関係ない。それが続編を作るということの宿命なんだ」
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「『映像の世紀』制作秘史」全文は、「文藝春秋」2023年2月号と、「文藝春秋 電子版」に掲載されています。
「映像の世紀」制作秘史