優れた作家は時に、何度も同じモチーフを作品の中で繰り返し描く。村上春樹が失われた妻を探して旅に出る男の物語を、桑田佳祐が過ぎていく夏の記憶を、ブルース・スプリングスティーンが街から街へ移動する貧しい男の物語を繰り返し語るように。
広瀬すずに九州弁を喋らせることに反発の声
1月17日に初回が放送されたドラマ『夕暮れに、手をつなぐ』では、脚本家の北川悦吏子が繰り返し描いてきたヒロイン像に通じる、東京に迷い込んだ野良猫のように自由で奇妙な女の子、浅葱空豆を広瀬すずが演じている。
制作発表会見で北川悦吏子が、早い段階で広瀬すずを主役に想定していたことを語り「溌剌とする中にも悲しみが見える女の子」と説明したように、それは演者への「当て書き」の部分もある役だ。
にも関わらず、永瀬廉演じる海野音と丁々発止のやり合いをする広瀬すずを見ていると、過去の作品の北川悦吏子ヒロインたちの面影が走馬灯のように甦る気がした。山口智子も常盤貴子も、こんな風に立て板に水で男の子に言い返す女の子を演じていたよな、そしてこの時代にそれを演じるのは、広瀬すずと永瀬廉なんだな、と。
正直言って初回放送前、予告編に対するSNSの反応は必ずしも良くなかった。静岡出身の広瀬すずに九州弁を、それも「空豆語」と北川悦吏子が語るかなり誇張しミックスした方言をしゃべらせることへの反発もあったし、相当なハイテンションで展開する空豆のキャラクターが上滑りし、視聴者のセンスと乖離してしまうのではないかという危惧もあった。
広瀬すずと脚本家・北川悦吏子が抱える「アンチ層」
もともと広瀬すずと北川悦吏子の2人には、SNSでかなりのアンチ層を抱えている。朝の連続テレビ小説で北川悦吏子が脚本を書いた『半分、青い』と、その翌年に広瀬すずが主役を演じた『なつぞら』は、どちらもSNSでかなりのバッシングが起きた。
自分の感性を信じて思いのままに突っ走るスタイルが時に反発も呼ぶという点において、浅葱空豆という人物像を描いた脚本家とそれを演じる若い女優はどこか似ているのかもしれない。
それだけに、北川悦吏子脚本を広瀬すずが演じる『夕暮れに、手をつなぐ』にはまたあれこれと重箱の隅を突く炎上の危惧も感じられた。
だが初回放送の後には、危惧された炎上は少なく、物語に引き込まれた視聴者の感想がSNSに溢れた。かなり突飛な空豆のキャラクターを生き生きと演じこなした広瀬すずの力量もあるが、相手役の音を演じる永瀬廉の抑えた演技がこのドラマを上滑りさせず、リアリティを持って視聴者に届ける「重し」になっているように思えた。