映像を支えるのは、気鋭の女性カメラマン
特に加工や演出もしていないのに、生まれながらにして「劇的な声」を持っている俳優というものが存在する。広瀬すずもまた、「街で一声発すると周りに本人と分かってしまう」というほど特徴的な声を持っているが、大半が2人の掛け合いで演じた『夕暮れに、手をつなぐ』の初回放送で、永瀬廉と広瀬すずの声はシーソーのように絶妙なバランスで物語に視聴者を引き込んだ。
生命力を爆発させるように躍動する広瀬すずの声が「動」とするならば、それを受け止める永瀬廉の憂いと哀しみを含んだ声は「静」の演技になる。ぶっ飛びすぎて視聴者が置き去りになるのではないかという予告放送での危惧に反して、ハイテンションなのにどこか静かな、夕暮れのような物語になったのは、永瀬廉の「受けの芝居」による所が大きいように思える。
もうひとつ、映像としてドラマを支えているのは撮影の伊藤麻樹による美しい映像だろう。2020年に第64回三浦賞を獲得した伊藤麻樹は、草彅剛の『ミッドナイトスワン』など、ふだんは劇場映画を中心に活躍する気鋭の女性カメラマンだ。
「テレビドラマというより、まるで映画みたい」と初回放送時にSNSで感嘆の声が上がったその映像は、単にキラキラと美しいだけではなく、『ミッドナイトスワン』がそうであったように、どこか哀しみの夕暮れの色がある。物語のメインボーカルを取る広瀬すずの歓喜と躍動の背後で、共演の永瀬廉や撮影の伊藤麻樹がコンポーザーのように憂いと哀しみのトーンを演奏する、そのバランスが物語に力を生んでいる。
役名に「脚本家の実娘の活動名」の真意とは
『夕暮れに、手をつなぐ』は、北川悦吏子脚本の多くがそうであるように完全なオリジナルであり、物語がどこに行くのかはまだ見えない。ひとつ言えることは、北川悦吏子という脚本家が自分の次の世代にこの物語を届けようとしていることだ。
主人公、浅葱空豆が北川悦吏子の実娘の活動名であることが指摘され、「公私混同」というバッシング記事が書かれてはいるが、それは単なる私情ではなく、前作『ウチの娘は、彼氏ができない‼』から通じて、自分の娘の世代に何かを伝えようとして物語を紡いでいることは判る。
北川悦吏子が物語を伝えようとする次の世代は、たぶん広瀬すずや永瀬廉の世代でもある。日本アカデミー賞への道も開いた『流浪の月』公開時のインタビューで、殺到する出演スケジュールの中で感情を見失うこともあったと語った広瀬すずは、北川悦吏子の描くヒロイン、情熱と激情の塊のような空豆を演じることでどんな感情と出会うだろうか。
毎年七夕になると、SNSには『半分、青い』の鈴愛と律の誕生日を祝うツイートが投稿される。2018年に放送されたドラマを今も記憶しているファンたちによるものだ。筆者の普段働く職場でも、「『半分、青い』にハマって朝ドラを見るようになったんですよ」という若い女性がいた。
憎しみは低い別の場所へとすぐに流れ落ちていくが、作品への愛と記憶はいつまでも同じ場所に残る。『夕暮れに、手をつなぐ』もきっと、過去の北川悦吏子作品と同じように、長く心に残る作品になるだろう。