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大学生芸人・フライドポテトインタビュー#2

2023/02/04

genre : エンタメ, 芸能

note

藤井 そんな山口を見て、あまりにかわいそうだったので当時の僕の相方とやらせてみたんですよ。「ちょっと、山口とやってみなよ」って。

山口 そういう流れだったか。

藤井 けど、それもうまくいかなくて。山口はボケで、当時の僕の相方もボケだからボケとボケになっちゃうんで。結局、ボケとツッコミの組み合わせが、僕と山口しかいなかったんですよ。

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 実際、僕らでやってみたらなんだかうまいこといって、やっぱり気も合うんで。さらに、ちょうど「お笑い全日本カップ」って大会があったので「もう、このまま出ちゃわないか?」と。

「中学生コンビ」が2度決勝へ進出

ーーコンビ名は、その頃から?

藤井 もうフライドポテトでした。これ、誰が考えたのかわからないんですよね。その「お笑い全日本カップ」の応募〆切が明日か明後日に迫っていて、「コンビ名、どうする?」と慌てていたら、周りにいた誰かが「フライドポテトでいいんじゃない?」って言って。

「じゃ、仮でフライドポテトにしておくか」となって、変えるのがめんどくさくなっていまに至ります。

フライドポテトというコンビ名に理由はないという

ーー「お笑い全日本カップ」に出られたのはいつぐらいですか?

山口 初めて出たのが中1の終わりで、中2の終わりにもそれに出てるんですよ。

藤井 僕らが中1の時に出た大会で優勝したのが、ぺこぱさん。まだ、ローラースケートを履いてやられてた頃ですね。僕らは1回目に出たときも2回目に出たときも決勝まで進めたんですけど、それは中学生コンビだからというイロモノ的な扱いで進めさせてくれただけで。

 そこは僕の勝手なイメージですけど、周りが「中学生が出てるわ」みたいな目で見ていたのは憶えてますね。それもあってか、緊張はしつつも妙な感覚を抱いていましたね。

山口 大会に出て、楽しかったことは楽しかったので。

藤井 楽しかったけど、あの時点ではまだプロになろうとは考えてはなかった。

初めて大会に出た時を思い出す藤井陸さんと山口将さん

高校1年生で「お笑いインターハイ2017」優勝

ーー引き続き、中3でも活動を。

藤井 中3では「お笑いインターハイ2016」に出て、ボロ負けしたんです。

山口 高校受験があって、勉強もしなきゃいけなかったし。僕ら、高校は別々になるんですよ。僕は目黒学院に入って。

藤井 僕は正則高校っていう、東京タワーの下あたりにある高校に入学して。山口とはちょくちょく遊んだりしてたけど、漫才をやろうといったムードにはなってなかったんです。それでも、高1の冬あたりから授業が終わったら、中学の頃にいつもネタ合わせをしてた団地で会うようになって、漫才めいたことをやりだしたんですよ。

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