「今日産まれたら誕生日が七夕だね!」
息苦しさの中、か細い声だが、語尾は弾んでいた。
そうか、七夕か……。
治療内容の説明を聞き、同意書にサイン
妻が入院してから季節の感覚もなくしていた。もっとも、コロナ禍のせいで例年なら街角で見かける笹の短冊(たんざく)も見かけなかったなあ。今、書くとしたら、願いごとは1つしかないが、お互いの思いを交わす間もなく、「それでは……」と、麻酔医がすぐに注射の準備にとりかかった。
ベッドの横には、これから帝王切開手術を行う女性診療科・産科と循環器内科の医師がそれぞれ待機していて、妻と私に手術の最終的な説明をした。
「おかあさんの心筋炎が劇症化しつつあり、心不全の危険にさらされています」
「おかあさん、赤ちゃん、ともに命が危ないので、緊急帝王切開を行います」
「赤ちゃんは産まれてすぐにNICU(新生児集中治療室)での治療が必要で、おかあさんも術後、ただちに集中治療が必要です」
「この手術にはさまざまなリスクが伴います」
一言一句の細部までは動転していて脳内再生できないが、こうした内容の治療への同意を求められて、その場でサインをした。
ドラマや映画であれば、「先生、もしものときは妻の命だけでも助けてやってください」と懇願(こんがん)する場面かもしれない。だが、冷静に医師の説明を聞き、いくつかの質問をすると、その選択肢がないことは、すぐにわかった。
手術に向かう直前、「七夕」の話を持ち出した理由
赤ちゃんを今すぐ取り出してあげないと、おかあさんの命も赤ちゃんの命も危なくなる。それが最善の道であることは理解できた。手術後、どうなるのか。それはわからない。どちらかが長期入院しなければならない事態もありうるだろう。命を落とすということだけは、いっさい考えないようにした。とにかく、迷ったり、調べたり、誰かに相談する時間はなかった。
おたふく風邪にかかり、そのウイルスが心臓に飛んで、心筋炎になった ―ということは、妊婦にはめったに起こらない不運。だが、医師の賢明な判断で、目の前では、日本でも有数の医師団が万全の態勢で治療にあたってくれようとしている。
なにより、夫婦で待ちに待った我が子の誕生のカウントダウンだ。
すべてを専門医に任せて、これからなにがあっても前向きに考えて受け入れようと、心に誓った。