手術に向かう直前、妻はなにを思って、「七夕」の話を持ち出したのだろうか。
「あのとき弱気な言葉、たとえば、もし私になにかがあったら、とか、この子のことだけはよろしく、とか暗い話をしたらダメだと思った。急激に自分の体が悪化しているのはよくわかっていたから。自分になにかがあっても、子どもだけはあなたに任せて大丈夫だと思った。産まれてくることはかけがえのないこと。私の病気のせいで、仕方なくこの日に産まれたのではなく、前向きで明るい記念日にしたかったの」
そこには、母親の悲壮な、しかし強烈な覚悟が込められていたのだ。
と同時に、なにがなんでも手術を乗りきって、我が子もわたしも助かるんだ。自分の手で我が子を抱きしめる——という念もひしひしと伝わってきた。
いつの間にか妻は、気丈でたくましい母親になっていた。
午前1時すぎ、医師や看護師が何度か経過を伝えに来る
──2020年7月8日
気づかないうちに日付をまたいでいた。
救急外来の待合室から、隣の病棟にあるICU(集中治療室)の「家族エリア」という待合室に移動した。手術はいつ終わるかわからないが、いずれICUに入ることになるという。待合室をはさんで、両側に厳重な扉で仕切られた「第1ICU」と「第2ICU」のフロアがあり、インターホンを通じてフロア内の看護師と連絡を取り合うことになっている。
待合室の正面にあるガラス戸の向こうは真っ暗だったが、目の前が上野不忍池(しのばずのいけ)という眺望のいい一角にソファが並べられ、畳敷きの小上がりや、個室の家族控室、清涼飲料水の自販機もあった。そこで1人、ひたすら待ち続けた。
午前1時すぎに、医師や看護師が何度か経過を伝えに来た。
その情報は断片的で、一喜一憂することになる。
赤ちゃんは無事生まれたが…
「帝王切開手術は無事成功しました。7月7日に産まれました。男の子ですよ」
「よかったー! 本当にお世話になりました。ありがとうございます」
赤ちゃんを取り出したときは仮死状態だったが、ほどなく泣き声が聞かれたそうだ。とても心配な状況だが、泣いているということはいい知らせだ。
ところが、妻は……。
命に別条はないが重篤な状態で、懸命の治療が続いているということだった。それ以上、詳しいことはわからなかった。しばらく、ICUでお世話になることだけはたしかで、いつ一般病棟に移れるぐらいにまで回復するかもわからない。病棟の看護師からは、お風呂に入れない患者が体の清拭に使う、リモイスクレンズという皮膚保湿・清浄クリームなど、必需品の購入が指示された。病棟内にはコンビニエンスストアを兼ねた入院用具を扱うショップが 24時間営業していた。
妻の身の周りの用具を買うことで、快方に向かっているような安心感をつい抱いてしまうが、その後も妻の容態について、医師からはいっさい、楽観的な話がなかった。あらためて、我が身を危険にさらしてまで息子を産んでくれた妻には言葉がなかった。
その他の写真はこちらよりぜひご覧ください。