3時間おきのギャン泣きとの格闘
【正午~午後1時】時差出勤して、会社であれやこれやの作業。
帰宅は、だいたい午後7時から8時で、帰りにスーパーに立ち寄ったり、テイクアウトでおかずを買ったり。
息子が退院してしばらくは、病み上がりの妻にできるだけ体力を温存してもらおうと、すべての家事を引き受ける覚悟だった……と、格好をつけて書いているが、いやはや、とても体がついていかない。
特に夜は11時頃に寝床につくとバタン。じつはそこからが妻の格闘の始まりだ。2~3時間おきのギャン泣きに対応するため、添い寝をしたり、寝る場所を替えたり、ベランダに出てみたり。
「寝ていても私には聞こえる。起こされるの」と妻は言う。パパは疲れて熟睡していても、ママには聞き取れる絶妙の周波数で泣くようなのだ。
ともかく、これは高齢パパにはありがたかった。
一時期どこかの自治体が公園でたむろする不良どもを撃退するために流したという、若者にしか聞き取れないイヤ~なモスキート音にも通じるのかもしれない。
「黄昏泣き」をひたすら腕の中であやす
つらいのは、夕方から夜にかけて、わけもなく突然泣き出して、どんどんエスカレートしてゆく「黄昏(たそがれ)泣き」だ。
ミルクでもない、オムツでもない、どこかが痛いわけでもなさそう。さびしいのかと思って抱っこしても、まったく泣きやまないのだ。
今、2歳になった息子が泣くのは、なにかわけがあって伝えられないもどかしさからであることが多い。しかし、赤ちゃんの「黄昏泣き」はそういうのとは違う。この世に生まれ出て、これから遭遇するさまざまな苦労や感動やいろんなことが予告編のように現れて、「ああ人生って切ないなあ」と言っているようにも聞こえる。
いや、それはあきらかに私の幻聴だ。56歳だから、「生まれ出た」ことに意味を見出そうと、理屈ばかりが浮かんでくる。この子の目の前には今、なんの理屈も忖度(そんたく)もないのだ。
仕方なく、気がまぎれるかなと、テレビのスイッチを入れる。お笑い番組を流す。意味はわからないだろうが、にぎやかにワーワー笑っている音は、イヤではないようだ。
ひたすら腕の中であやす。腕が棒のようになり痛みが出る頃、スヤスヤ寝息を立てている。こちとら人生の黄昏どきだが、現実はたそがれている時間などなかった。
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