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山でアリやミミズを食べ、足首の傷口からはウジが湧き…30歳男性登山者が経験した13日間の“サバイバル遭難”

『山のリスクとどう向き合うか 山岳遭難の「今」と対処の仕方』より #1

2023/01/29

genre : ライフ, 社会

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いくつもの幸運が重なったことによる生還

 女性が救助されたのは、偶然の賜物だった。8月30日、ガイド登山の8人パーティが、20年以上も前に廃道となった伊藤新道を三俣蓮華岳方面から下ってくる途中、赤沢の出合付近の岩陰で助けを求める遭難者の女性を発見し、連絡を受けた長野県警のヘリによって無事救助されたのである。

 本人の話によると、18日までは正しいルートを探して山中を彷徨していたが、水がなくなったため沢筋に下り、岩陰でビバーク(露営)しながら沢を下っていったという。幸いだったのは、果物やお菓子、アルファ米、パン、栄養補助食品など、山小屋を利用する3泊4日の山行にしては豊富な行動食を携行していたことだ。

 これらで10日以上食いつなぎ、食料が尽きてからは沢の水を飲んで空腹を満たしていた。ツエルト(簡易テント)は持っていなかったため、夜はすべてのウェアを着込み、レスキューシートにくるまって寒さをしのいだ。

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 遭難中は好天続きで雨が降らなかったこと、廃道となっていたルートをガイド山行のパーティが通りかかったことなど、いくつもの幸運が重なった16日ぶりの生還であった。

激しい雷雨に見舞われ、奥深い山のなかへ迷い込んでしまう

 その約1年後の2011年8月5日、69歳の男性が紀伊山地の大峰奥駈道(おおみねおくがけみち)の弥山(みせん)~八経(はっきょう)ヶ岳~仏生(ぶっしょう)ヶ岳~釈迦ヶ岳を2泊3日で縦走する計画を立て、天川(てんかわ)村の川合から単独で入山した。初日は弥山の山頂にある弥山小屋に泊まり、翌日は奥駈道をたどって釈迦ヶ岳を越え、太古ノ辻から稜線を離れて、この日の宿泊地・前鬼(ぜんき)へと向かった。

 ところが、下っていく途中で激しい雷雨に見舞われ、焦りもあっていつの間にか登山道を外れ、奥深い山のなかへ迷い込んでしまった。その日から8日までは、がむしゃらに歩き回って道迷いからの脱出を図った。しかし、道、案内板、人間、人家、宿坊、救助のヘリコプターなどが、次々と男性の前に現れては消えた。すべて幻覚だった。激しい幻覚に翻弄され、いたずらに体力を消耗した。しまいには背負っていたザックも投げ捨ててしまった。

救助隊長の閃きが発見につながることに

 精魂尽き果て、9日から11日までは涸れ沢のなかで動かずに過ごした。しかし喉の渇きに耐えきれず、水を求め、膝行(しっこう)して沢を下りはじめた。100メートルの距離を3時間かけて下り、ようやく水にありつけてほっとしていたときに、救助隊が男性を発見した。

 男性の捜索は8、9日の2日間にわたって行われたが、「発見は絶望的」と判断され、すでに打ち切られてしまっていた。だが、救助隊長の閃きによって1日だけ捜索を再開することになり、それが発見につながったのだった。

山でアリやミミズを食べ、足首の傷口からはウジが湧き…30歳男性登山者が経験した13日間の“サバイバル遭難”

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