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『電波少年』も『ボキャ天』も認めず…「あれはお笑いじゃない」ロンブー、ココリコ世代の“東京吉本芸人”たちのプライド

『東京芸人水脈史 東京吉本芸人との28年』より#2

2023/02/23

 30年近く若手芸人のライブシーンで活動している作家・山田ナビスコさん。1994年に吉本興業が運営する銀座7丁目劇場の座付き作家になって以降、極楽とんぼ、ロンドンブーツ1号2号、ピース、渡辺直美、ニューヨークなど数多くの芸人を見守ってきた。

 ここでは、そんな山田さんが自身のキャリアや芸人裏話をまとめた『東京芸人水脈史 東京吉本芸人との28年』(宝島社)より、文春オンライン編集部が一部を抜粋して紹介する。「吉本印天然素材」『ボキャブラ天国』を経て、激動の時代にロンブーが人気を博したワケとは——。(全2回の1回目/前編を読む

ロンドンブーツ1号2号 ©getty

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銀7という戦場

 ここ数年、90年代の東京吉本のお笑い事情が当事者の芸人によって「同じ吉本なのに関東と関西がバチバチだった」と語られる機会が多くなってきました。

 自分が知っている限りの経緯をお伝えします。当事者からすると「違う!」と思われる部分もあるとは思いますが、伝聞なのでご了承ください。

 東京の生え抜きであるバッタモンクラブのメンバーは銀7オープンにあたって「自分たちの劇場ができる!」と大喜びしたといいます。

 しかし……看板は「吉本印天然素材」(以下、天素)になるというのです!

 天素は雨上がり決死隊、バッファロー吾郎、FUJIWARA、チュパチャップス、ナイナイ、へびいちごで結成されていた、エンターテインメントユニットです。お笑いはもちろん、ダンスもできるアイドル的な存在でした。女子中高生に大人気となり、その名は東京にも轟き、後楽園ホールでライブをすれば超満員だったと聞きます。94年にダウンタウンさんに匹敵する快進撃をしていたのがナイナイさんです。デビュー3年目にして『ぐるぐるナインティナイン』などの冠レギュラー番組を持っていたのです。

ナインティナイン 

 銀7の看板が「お笑い虎の穴TOKYO」というシステムです。芸人がピラミッドの階層に分けられ、ネタ尺に応じて「1分組」から始まって「2分組」「3分組」と勝ち上がると、晴れて「私服組」となり、レギュラーメンバーとなれるのです。「私服組」になるまでは、黒トレーナーに黒スウェット、そして虎の顔がついたベルトをして、ショッカー戦闘員のスタイルでネタをやらなくてはならなかったのです。

 94年春、銀7オープンにあたって「お笑い虎の穴TOKYO」の一般向け大オーディションが行われました。MCはナイナイさんです。ここに生え抜きのバッタモンクラブメンバーも出演させられたのです。

 極楽さんはすでに『とぶくすり』に出演しており、ナイナイさんと共演もしています。ライブ映像を見たことがあるのですが、極楽さんも黒トレーナーと黒スウェットでネタをやらされていました。自分たちの劇場ができると思いきや新たにオーディションを受ける素人と同じ扱い。バッタモンクラブのメンバーは悔しい思いをしたと聞きました。

 このオーディションに合格したのがDonDokoDon、ペナルティらです。ロンブーは一度不合格となりながらも劇場に直談判してメンバーになったと聞いております。

 一方、天素メンバーからしてみても「テレビで売れたいのになんで東京の劇場の看板を背負わされなあかんの?」という心境だったと思います。制作側の方針で、芸人たちは一触即発の銀7という戦場に放り出されたのです。

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