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『電波少年』も『ボキャ天』も認めず…「あれはお笑いじゃない」ロンブー、ココリコ世代の“東京吉本芸人”たちのプライド

『東京芸人水脈史 東京吉本芸人との28年』より#2

2023/02/23
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ロンブーのネタ

 銀7で売れた芸人の筆頭といえばやはりロンブーです。

 ロンブーにはネタのイメージがあまりないかもしれませんが、ネタもおもしろかったのです。当時の銀7戦略で、売れる前には原宿クエストホール(現在は閉館)で単独ライブを何度かやっています。

 自分は銀7時代に見たネタが鮮烈でした。何本か紹介してみましょう。

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 まずは漁業部のネタ。舞台は高校。バレーボール部の亮さんのもとへ、漁業部の淳さんがやってきて、「網が破れたが、バレーボールのネットがちょうどいい感じなので貸してくれ」と頼んでくるコントです。これがとてもおもしろいネタでした。

 続いて赤ペン先生のネタ。亮さんが受験生で、ビデオ教材で勉強しているというコントです。その赤ペン先生が淳さんです。このコントは自分にとっては斬新でした。ビデオなので、巻き戻し早送りするというボケがあり、巻き戻しすると、淳さんがさっきと違うことを言っており、亮さんが混乱していくのです。

ロンドンブーツ1号2号・田村淳さん ©文藝春秋

 コントの設定がとても新しかったと思うのです。ボケがおもしろいだけではなく、設定にセンスを感じました。

 しかして、ロンブー人気に火をつけたのは、ネタではなく『慢性吉本炎』の「BINTA」という企画でした。カップルに声かけをして、2枚のカードから彼氏に1枚を選ばせます。1枚は当たりで1万円がもらえ、BINTAカードを引いた場合は、彼女が淳さんからビンタを喰らうというコーナーです。1万円ほしさに、彼女をささげる彼氏。カップルとのやりとりが絶妙で、ロンブーの素人いじりの才能を見せつけられました。

 当時の銀7芸人たちが一番出演したがっていた番組が『DABO銀』(1995~96年)です。自分たちでロケもの企画を考えて、ハンディカムで撮影してきます。それを東京代表の横澤さんが判定するという番組でした。ネタよりも平場的な能力が問われ、テレビと直結していると考えていたのです。この番組でもロンブーは人気となり、『DABO銀』の後番組はロンブーの冠番組『あなあきロンドンブーツ』(1996~97年)となり、ロンブーの快進撃が始まります。

 しかし、この番組で、一番おもしろい企画を出していたのはウルグアイパラグアイ(以下、ウルパラ。のちのじゃぴょん)だったと思います。初回から企画力が違いました。子ども用プールを使って多摩川くだりをするのです。横澤さんも大絶賛でした。

 では、なぜロンブーだったのか。それは「場の空気をつくる」という能力がズバ抜けていたからだと思うのです。