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『電波少年』も『ボキャ天』も認めず…「あれはお笑いじゃない」ロンブー、ココリコ世代の“東京吉本芸人”たちのプライド

『東京芸人水脈史 東京吉本芸人との28年』より#2

2023/02/23
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異様な空間

 自分が銀7に行ったのは、銀7がオープンして数ヶ月後の夏でした。雑誌に「銀7の座付き作家募集」の記事があり、それに応募して採用していただきました。自分と一緒に採用になった作家は計3人います。「お笑いの仕事ができる!」と思ったもののこれが大間違い! 銀7メンバーと天素による冷戦の中に放り込まれることになったのです。

 なぜ、座付き作家の募集が行われたのか? 前任が辞めたからにほかなりません。劇場オープンから構成&演出をしていたのは、いまや日本を代表する映画監督・福田雄一さんです。福田さんは極楽さんをはじめとした芸人たちから全面的な信頼を得ていたそうです。しかし、芸人側に立ちすぎて制作サイドともめて、劇場を離れることになったと聞いております。自分ら新規採用作家は劇場の生え抜きメンバーからすると信頼する福田さんを追いやった会社側の回し者と思われていたでしょう。

 一方の天素メンバーからしても「またどこぞの馬の骨が来やがった」だったでしょう。仕事を始めて数ヶ月はほとんど誰も言うことを聞いてくれない四面楚歌状態でした。打ち合わせなんて無視です。コーナーの説明も聞いてくれない。本番に台本を読みながら、コーナーをこなされるという日々が続きました。

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 それも仕方なかったかなと思います。ライブ自体が異様な空気でまじめにやるほうがおかしかったとすら言えるかもしれません。同じライブに出演していながら関西芸人と関東芸人は顔も合わせない状態。とにかくバチバチでした。

 ライブは2時間。1. オープニング、2. 前半ネタ3~4組、3. 中MCから「虎の穴コーナー」、4. 後半ネタ3~4組、5.コーナー、という構成でした。銀7初期のライブでは天素メンバーは前半ネタのトリをつとめていました。ニッポン放送で『ラジオ7丁目劇場』という天素メンバーによる生放送ラジオ番組があり、天素メンバーはネタ出番が終わると劇場を飛び出します。それと同時に天素ファンも出ていってしまうのです! 公演なかばで半分くらいのお客さんが帰ってしまう。それどころか、オープニングが銀7芸人だと、天素ファンは天素メンバーが出てくるまで下を向いて舞台を一切見ず、ひと笑いもしないのです。そんな状態を想像できます?

 いくらお客様とはいえ、銀7芸人からすればライブへの弊害以外の何ものでもありません。銀7芸人の中でお客さんに悪態をつく人も出てきます。

「今日も天素だけ見て帰るようなアホな客がたくさん来てますね」

 そんな状況でお笑いライブが行われていたのです。

「えらいとこ来ちまったな……」。ライブ作家のスタートは最悪でした。

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