映画史家・伊藤彰彦氏の人気連載「仁義なきヤクザ映画史 日本百年の闇をあばく」第11回を一部公開します。(「文藝春秋」2023年2月号より)
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「喫茶ハワイ」で射殺された
1977年4月13日。日本海側の鄙(ひな)びた町に4発の銃声が轟いた。
東尋坊(とうじんぼう)に近い福井県三国(みくに)町の「喫茶ハワイ」で“北陸の帝王”と呼ばれた武闘派ヤクザ、川内弘(53)が4名の男により射殺されたのだ。この事件は北陸の片隅で起きたこともあり、全国紙では報じられなかった。しかし、事件の全貌が明らかになるにつれ、ヤクザ社会と映画界に大きな衝撃が走った。親分が子分を殺すことが恥ずべきこととされるヤクザ社会において、川内に刺客を向けたのが川内の親にあたる山口組若頭補佐、菅谷政雄の舎弟分であり、事件の2日後、山口組幹部会は菅谷を絶縁処分(ヤクザ社会から放逐する、もっとも重い処分)にしたからだ。
また、川内が「喫茶ハワイ」で襲撃された状況が、高田宏治が脚本を書き、深作欣二が演出した東映実録ヤクザ映画『北陸代理戦争』(1977年)のワンシーン——川内をモデルにした川田(松方弘樹)が撮影所内にセットで作った「ハワイ」で4名の刺客に襲撃される場面に酷似し、まるで現実が映画を模倣したかのように思われたからだ。映画関係者は震撼し、深作欣二は二度とヤクザ映画を撮ることはなかった。
『北陸代理戦争』は、映画と現実が連動し、フィクションが進行中のヤクザの抗争に影響を与え、モデルである組長が射殺される事件を誘発した希有の映画である。なぜ山口組幹部の菅谷政雄が道を踏み外し、なぜ現実が映画と重なり合ったのか——。
かつて私はこの事件について『映画の奈落 北陸代理戦争事件』(2014年)という一冊を書いたが、今回は別の視点から、現実と映画のスパークをたどり直してみたい。
私がこの事件を知ったのは、96年に刊行された高田宏治のインタビュー本『高田宏治 東映のアルチザン』を読んだときだ。高田はこう語っている。「私としゃべっていた同じ椅子で! 有名な事件です。撃たれてほんとに殺された。もうこの話を聞いたときは……なんというか……戦慄なんてものじゃなかった。なんともいえない気持ちになりましたね。狙われていたとは思うけど、あんな映画作りやがってということが一つの引き金になった気がします」。