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 ソ連のミハイル・ゴルバチョフ書記長による改革は、東欧の民主化に波及し、1989年11月、「ベルリンの壁」が崩壊した。翌月、ゴルバチョフと米国のジョージ・ブッシュ大統領は冷戦終結を宣言、91年12月、ついにソ連が解体する。

 そして、この頃、自由主義陣営には高揚感が満ち溢れていた。とうとう、共産主義に勝った。これからは民主主義と資本主義が世界を支配する、という楽観論だ。戦後を反共活動に捧げてきた田中も歓迎していいはずだった。

 ところが、喜ぶどころか、逆に彼は、共産主義を超える深刻な脅威に気づいたらしい。冷戦末期にバルト三国やウクライナ、中央アジアで燃え上がり始めた民族主義である。そのうねりは、田中の想像を超えたという。

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©The Otto von Habsburg Foundation

 「一昨年から始まったロシアや東欧の自由化、民主化をみて、西側自由主義陣営は資本主義の勝利だとか、自由主義の勝利だとして、ソ連、東欧の民主化はますます加速されるものだと考えていたようだが、実際にはソ連では保守主義と民族自立主義とが台頭して来るなど、ヨーロッパの近代文明史の表面しかみていないような連中には予測のつかない事態になり出している」

「ゴルバチョフはペレストロイカ、グラスノスチでロシア民族をはじめ、ソ連内の100からの諸民族が民族意識に目覚めてそれぞれ自分の自治権や主権の独立を求めて動くとは夢にも思わなかっただろう」

「現在はあらゆるものの総決算になりつつあるのではないのか。人類の、そして地球の根本の。われわれは民族問題がこのような形で爆発するとは思わなかった。私自身思わなかった」(「経済往来」1991年1月、4月号)

プーチンの大統領就任後、公然と警告するようになったオットー大公

 特に危険なのが、各共和国の独立の動きに反発するロシア民族主義者だった。その中核は、軍やKGB(国家保安委員会)、ロシア正教の関係者で、相互に連絡を取り合っている。

 彼らは、「ロシア民族の人種的優秀性を強調し、ソ連軍の軍事力を誇示し、政治経済の中央集権体制を進めて、ソビエト連邦政府の、権限を拡大するというような目標を持っている。一言で言えば、ソビエト大帝国主義の保全である」(「経済往来」1990年1月号)