日本共産党中央委員長から国際的フィクサーへ。田中清玄の正体

 過去、わが国では黒幕、フィクサーとされる者が何人かいた。表に姿を見せず、蔭でうごめき、だが時に歴史を変える動きをする。その中でも、昭和の時代に活躍した田中清玄は、異色の存在だった。

©文藝春秋

 戦前、非合法の日本共産党の中央委員長となり、革命をめざして、武装闘争を指揮した。治安維持法違反で逮捕され、11年を獄中で過ごすが、その間、息子を改悛させようと母親が自殺、これを機に共産主義を捨てた。

 終戦直後、密かに昭和天皇に単独拝謁し、命を懸けて皇室を守ることを誓った。皇居に押しかけた共産党のデモに、ヤクザや復員兵を送って、殴り倒させる。

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 左翼から一転して右翼へ、この揺れ幅の大きさから、生前は毀誉褒貶も激しかった。ある者は「愛国者」「国士」と呼び、ある者は「裏切り者」「変節漢」と罵る。だが、敵も味方も認めざるをえないのが、その強烈なエネルギー、怪腕とも言える活躍だった。

 1960年代、高度経済成長で日本の石油消費が急増する中、田中は単身、中東へ乗り込む。アラブ首長国連邦の初代大統領ザーイド、欧米の国際石油資本と渡り合い、いくつもの油田権益をもたらした。また、インドネシアのスハルト大統領のクーデターを支援し、見返りに原油を手に入れ、国際的フィクサーとされた。

 こうした波乱の生涯を追ったのが、拙著「田中清玄 二十世紀を駆け抜けた快男児」(文藝春秋)だ。そして、彼を単に右翼の黒幕とするのは間違いであること、その軌跡が今の世界、21世紀を生きる指針にもなるのに気づいたのだった。