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連載昭和の35大事件

戦前の武装共産党トップ「昭和のフィクサー・田中清玄」が生きた“転向の時代”とは

拷問、脅迫……思想は「命を懸けて守るもの」だった

2019/12/22

source : 文藝春秋 増刊号 昭和の35大事件

genre : ニュース, 社会, 歴史, メディア, 政治

解説:共産主義からの「転向」とは?

 今回のテーマは、この「昭和の35大事件」で既に取り上げた「赤色戦線大検挙」の三・一五事件(1928年)と、「ギャング共産党事件」で書いた大森銀行ギャング事件(1932年)の間に挟まった時期の共産党絡みの事件。本編の筆者は、「武装化」に反対し、戦後は日本共産党で衆院議員も務めており、スパイ「M」についての証言などは貴重。これ以上付け加えることはない気もするが、実際に暴力事件となった川崎での事件を公的資料から見てみよう。

「共産党は昭和5年5月1日のメーデーを武装メーデーとして大衆蜂起を計画した」と「神奈川県警察史中巻」は記述している。メーデーの会場は川崎稲毛神社境内。神奈川県警察部は警察官180人で警戒に当たった。「午前9時半、集合人員は2000名に達した。同9時55分、メーデー実行副委員長近藤武男が開会宣言のため、壇上に上がろうとした。

 その時、突如会場表入り口から黒詰め襟服を着た18~19名の一団が『日本共産党日本共産青年同盟』と大書した数本の旗をなびかせながら乱入してきた。彼らの手にはそれぞれ竹やり、仕込み杖、大型ヤスリ、短刀、ピストルなどが握られていた。

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 これを発見した(川崎署)内宮(藤吉)警部指揮の一隊は、ただちにこれを制止し、携帯凶器の押収にかかり、反抗する一団との間に乱闘が開始された」「突然銃声が響いて、内宮警部が倒れた。ピストルを撃ったのは首謀者、鶴見の日本石油の工員阿部作蔵(26)であった」(同書)。彼は逃げようとしたが、現場付近で逮捕された。

「竹やり77本、大型ヤスリ3本……」党の再生と革命を焦った結果

 近藤副委員長も、青年同盟のメンバーを制止しようとして大型ヤスリで刺され、他のメーデー参加者2人も竹やりで突かれて負傷した。80人の警察官が応援に駆け付け、8人を逮捕。ようやく騒ぎは収まった。内宮警部が左頸部貫通銃創の重傷を負ったほか、警察官5人が負傷。現場で竹やり77本、大型ヤスリ3本、仕込み杖2本、短刀4本、ピストル1丁が押収され、逃走した10人も後日、全員逮捕された。

「首謀者阿部は日本共産党青年同盟京浜地区のオルガナイザーで、上部からメーデー対策の指示を受け、数回にわたって同志を集めて謀議し、メーデーの暴動化を計画した」「打ち続く検挙によって細るのみの共産党が、党の再生と革命を焦った結果の一種の自壊現象であったといえよう」と同書は指摘している。この事件の報道も記事差し止めとなり、解禁されたのは半年以上後の1930年11月29日付夕刊。「去るメーデーに 極左派の騒擾事件」「乱闘の限りを盡す」(東京朝日)、「竹槍・ピストルで警官襲う 記事解禁」(東京日日)などと大きく報じられた。号外を出した社も。

記事解禁でようやく報道された川崎メーデー事件(東京朝日新聞)