ウクライナ外相がたたえたオットー大公の先見性
2022年11月19日、オーストリアの首都ウィーンで、汎ヨーロッパ運動の100周年を記念する式典が開かれた。これは20世紀初め、リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーが提唱し、欧州全体を一体的に捉えて統合しようという運動だ。
そして、中心人物として長年活動してきたのが欧州きっての名門ハプスブルク家、その当主のオットー・フォン・ハプスブルク大公だった。
各国の有力政治家ら、300名を超える参加者にビデオ・メッセージを送ったのは、ウクライナのドミトロ・クレーバ外務大臣である。冒頭で、「欧州の同志たち」と呼びかけた大臣は、その11年前に亡くなったオットー大公について語り始めた。
「汎ヨーロッパ運動に生涯を捧げ、鉄のカーテンに穴を開けるのに多大な貢献をした、オットー・フォン・ハプスブルク大公に敬意を表します。大公は、早くも2005年に、欧州にとってプーチンが最大の脅威と見抜いた一人でした。その予言は、今日、厳しい現実となってしまいました」
すでに、ロシアのウクライナ侵攻開始から9ヶ月が過ぎていた。2022年2月、ウクライナを自国の勢力圏と見なすウラジーミル・プーチン大統領は、大規模な攻撃を開始する。その結果、多くの市民が犠牲になり、難民が発生、世界中で食糧やエネルギーの価格が高騰した。21世紀の歴史に刻まれるのは間違いない。
そして、こうした事態を20年以上前から予見し、繰り返し警告したのがオットー大公、その友人で日本の国際的フィクサー、田中清玄だった。
なぜ2人はプーチンの危険性を見抜くことができたのか
前回で述べたように、田中は、オットー大公と長年親交を結び、家族ぐるみの付き合いをしてきた。年に数回は欧州を訪れ、大公の自宅や別荘で国際情勢について意見を交わした。こうして入手した情報の一部は、旧知の入江相政侍従長を介して、昭和天皇に届けられる。
武装共産党の元委員長が、天皇家とハプスブルク家のパイプ役を担ったが、こうした活動は1980年代末、大きな転機を迎えた。東西冷戦の終結である。