おそらくオットー大公の情報だろう。田中は、これらロシア民族主義者の組織、メンバー、会合を丹念に追っていた。そして、田中の長男の俊太郎は、父がふと漏らした言葉を覚えているという。
「親父が、ある時、『KGBのプーチンは、非常に危険な人物だとオットー大公が言っている』と、突然言ったんです。ベルリンの壁が崩れた時、オットー大公たちの動きを監視してたのが、KGBの東ドイツ駐在のプーチンだったと」
冷戦末期、東ドイツのドレスデン駐在のKGB将校で、後にロシア連邦保安庁長官となり、ロシア大統領に就任するウラジーミル・プーチンである。
1980年代、オットー大公は、自ら密かに東側に入り、反体制活動家と接触していた。その際、ドレスデンで会った元政治囚らからプーチンの名前を教えられた。KGBでも特に冷酷で残虐な人間らしい。以来、その人となりや言動を追い始める。
その後、2000年にプーチンが大統領に就くと、公然と警告を発し始めた。明らかに領土拡大と独裁主義をめざしており、かつてのヒトラーと重なるという。だが、当時の周りの反応は鈍かったようだ。
考えてみれば、無理もない。すでに冷戦終結から10年が経ち、欧米は、ロシアをパートナーと見なしていた。2002年には、NATO(北大西洋条約機構)とロシアの理事会設置も合意された。それを、プーチン大統領を招いた会合で、ジョージ・W・ブッシュ大統領は、欧州に平和と自由をもたらす「歴史的偉業」とたたえた。
プーチンがウクライナへ軍事侵攻を命じ、血みどろの戦いが起きるのは、それから20年後である。
1917年の革命で消えた帝国の地図が、プーチンを動かしている
欧米の政府首脳も見誤ったプーチンの危険性、なぜ、それをオットー大公は予見できたか。むろん、欧州全域に張り巡らせたハプスブルク家の情報網もあったろう。だが、ここで思い起こすのが、前回触れた、大公が俊太郎に語ったという言葉だ。
国際情勢について質問すると、「とにかく、毎日、世界地図を見なさい」と答えたという。「今は異なる国でも、少し遡ると、歴史的に同じ国に属していた。同じ領土だったのに、紛争があり、無理やり分かれているところもある。そういうのが、見えてくる」と。