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「ほとんど男子校」だった東京大学で、「女子」としての役割を求められた“生涯最悪の瞬間”

2023/02/06

genre : ライフ, 社会

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 彼らはたぶん、全然みんな、悪い奴らではなかった。「そういうふうに育っちゃった」からそうだったのだろう。当時のわたしも不快なときに何が不快かを言わなかったのは、悪かったのかもしれない。しかし、どのテニスサークルにかわいい子が多いかというような話ばかりしていて、クラスの女子にもうっすらアリとナシの線引きをしている人たちと、何かをわかりあいたいとも思っていなかった。大学は、わたしに「女子」を貼り付けて、「わたし」を奪う透明な嵐が吹き荒れる場所だった。わたしは、女子学生比率が高い上智大学に行った友人のところに頻繁に遊びに行き、上智の女の子たちと学生食堂でごはんを食べ、上智の学食で中国語の宿題に取り組んでその嵐をやり過ごした。

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 クラスで楽しく過ごすことは諦めたが、学生団体・サークル活動に精を出したら、苦痛はだいぶ和らいだ。所属していた学生新聞団体も女性はさほど多くなかったものの、とにかく毎週4ページの新聞を作り販売するという業務に全員が目まぐるしく追われていたから、性別なんて気にしている場合ではなかった。デスクを務める男女2人が編集会議で一歩も引かない本気の喧嘩をしていることもあったし、ボロボロと人がやめていった同学年でたまの飲み会をやるときは、まるで村の寄り合いのような鄙びた空気があった。

 逆に、文科三類さながら、男女比がほぼ1対1で保たれている茶道サークルにも所属していた。女の存在が当然のソサエティだったから、誰も殊更にわたしにそれを求めてこなかった。サークル内での交際は当然盛んだったし、なんなら茶道というのは他校との交流ありきだったので、他校の女子学生との浮名を存分に流している人もいたが、それは個人個人の振る舞いであり、サークル全体の風潮として押し付けられるものではなかった。おかげでなんとか4年間を生き延びられた。

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法学部に正式に進学したあとの“生涯最悪の瞬間”

 法学部に正式に進学したあとも、「吐瀉物踏んで自己嫌悪」は都度あった。大体は心を無にしてやり過ごしたが、一度、そこに隠れていたナイフの刃先が刺さって精神的に致命傷ぎりぎり、みたいなことが起きた。

 大学4年のはじめ、ある日のゼミに、美容院で髪をボブカットにしてから行ったときのことだ。そのゼミのメンバーは概ね勉強熱心で、余計な雑談も少なかったのだが、1人非常に、わたしからすると“男子校出身”的な男子、つまり、テニスサークルに所属しそこで彼女を作り、司法試験に通ったら当然渉外事務所で初年度年収1000万円をゲットするぞと息巻いている、常に他者をジャッジすることにためらいがない男子がいた。彼はテニサーに難なく溶け込んでいるタイプで、すでに彼女もいるし、ゼミの中でアリ/ナシをジャッジをするほど浅ましい人間ではない、とわたしは思っていた。だから油断していたのだ。