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落ち着きをとりもどした中央駅

 10カ月前にはウクライナから脱出する難民であふれかえっていた中央駅もすっかり落ち着きをとりもどし、「中央駅」とロシア語で書かれた看板のある駅舎の隣には英語で「HUB STATION」のネオン輝くショッピングモールが建ちあがり、雪だるまやツリーのデコレーションがまばゆいばかりであった。中にはブティックや24時間営業のイタリアンレストランがテナントに入り、列車やバスを待つ人々でにぎわっていた。

町の中心部には大きなクリスマス・ツリーが 撮影・宮嶋茂樹

 ホワイト・クリスマスを期待していたが、さほどの冷え込みはなく、地面は雨に濡れていた。これなら3度目のウクライナ取材はそんなにつらいもんにならんのではないやろか? しかし何度も言うが、今もウクライナ全土はロシア軍の巡航ミサイルの射程内に入ったままなのである。

リビウから首都キーウへ…長距離バスで10時間のドライブ

 クリスマス・イブにあたる1月6日、ふたたび長距離バスにてリビウから首都キーウに向かった。平時ならリビウ―キーウ間500キロは5時間で行けるが、昨年3月は首都を包囲しつつあったロシア軍を避けて南に大きく迂回したため20時間かかったのである。この日は時刻表通りに行けば、リブネやジトーミルなど10か所以上で停車、トイレ休憩などを含めて10時間のドライブである。

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 車内はポーランドからの国際長距離バスと違い、故郷でクリスマス休暇を過ごす乗客で満席であった。迷彩服に身を包んだ軍人らしき姿もある。7カ月前はリビウの街中を過ぎるや、一気に車の姿がなくなっていたもんやが、クリスマスシーズンの40号線は東名高速厚木インター並みの交通量であった。

 バスが東に10km進むたびに気温が1度ずつ下がっていく。そしてジトーミルを過ぎたころから粉雪が舞い始めた。7カ月前、ほとんどの住民を避難させ、ウクライナ軍が自ら地雷を敷き詰めたと思えたジトーミルの町にも住民がもどりつつあった。迷彩服の乗客グループも停車のたびに喫煙のため外に出るには出るが、タバコを吸い終えると寒さに追われ首をすくめて車中にもどってきた。

 午後3時を過ぎたころ、車窓の向こうは暗くなりはじめ、4時前にはすっかり夜の帳が降りた。ひと月無制限の通信量で125フリブニャ(3ドル弱)というおそろしく安い料金のSIMカードのおかげで、グーグル・マップが正確に現在地を示してくれる。7カ月前にウクライナの忠犬ハチ公を取材したマカリフ市を通っても全く気が付かないくらい、高速40号線は大小さまざまな車が飛び去って行くのである。

 ロシア軍の戦車からロシア兵の死体まで散乱していたドゥミトリフカ村にも1台も戦車の残骸は見えなかった。まあ暗いから1台くらい見逃したかもしれんが。7カ月前は首都キーウから二十数キロしかはなれていないごくごく普通の高速道路上にまでロシア軍の戦車が迫っていたなんて、バスに揺られるウクライナ人でもにわかには信じられんやろう。