『世襲 政治・企業・歌舞伎』(中川右介 著)幻冬舎新書

 先頃、安倍晋三元総理の実弟にあたる岸信夫元防衛大臣が議員辞職を表明する際、「このあたりで信千世(長男)に譲りたい」と述べて、さすがに批判を浴びた。選挙区は領地ではないし、国会議員とは公職であろう。地元で愛される小さな商店を息子に継がせる、といった類の話ではないのだ。主権在民という言葉がむなしく響く、この現状は何かと考えさせられる中で、本書を手に取った。

 議員の子が当たり前のように議員になる。「かえるの子はかえる」といった感覚が蔓延し、二世、三世の世襲議員が政界を席捲している。だが、これはそう古い話ではなく、平成時代以降の現象である。

 現憲法のもと、戦後の昭和時代に誕生した総理大臣は吉田茂から竹下登まで15人。彼らは鳩山一郎を除いて、全員が自分で地盤を築いた初代である。ところが、そんな彼らの大半が子や親族に地盤を継がせた。

ADVERTISEMENT

 本書では歴代の総理大臣が輩出されていく過程を追いかけ、世襲へと至る政治家それぞれの個人史が細かく紹介されている。本来、選挙を経た結果とはいえ、根本的に「世襲議員」は民主主義とは相いれない関係にある、と著者。私も同様に思うが、ではなぜ戦後、民主主義社会となった日本で時代に逆行するように封建領主のような政治の「家」が生み出されたのだろう。継続性を重んじる日本人の心理によるのか、それとも構造的な選挙制度の問題か。本書ではそうした点に直接触れられてはいないが、著者は政治家の閨閥を丹念に見せることで読者に気づきを与え、一考を促そうとしている。

「能力のない者が親の地盤を継いで議員となり、当選を重ねて大臣や総理大臣などになった場合、国が滅びる可能性がある。いまの日本が経済的・外交的に衰退しているとしたら、その原因のひとつは、21世紀になってから世襲政治家が増えたことにある」と著者。世襲にも、「英才教育」「帝王学」を早期から施せるという利点はあるが、そのような利点が政界で生かされている気配はなく、「『政治家以外にはなれそうもない人』が親の後を継いで政治家になる傾向がある」とも説く。こうした著者の憂いに共感を覚える人は少なくないだろう。だが、それでも日本人は「世襲政治家」を選ぶのである。実力よりも血を重んじ、しかも世襲の利点は生かされていなくとも。

 政界のほかに、企業(自動車会社等)、歌舞伎界の世襲にも触れられているが、それぞれを羅列するのではなく、比較した上で何が共通し、何が共通しないのか、という視点で踏み込んだ独自の分析があれば、さらに深い日本論となったことだろう。新世襲社会となった日本は、無自覚なままに壮大な実験を国家レベルでしているのではないか。そんな感慨を読後に強くし、今という時代を私は改めて、空恐ろしく思った。

なかがわゆうすけ/1960年、東京都生まれ。編集者、作家。クラシック音楽、歌舞伎、映画、歌謡曲、マンガ、政治、経済の分野で主に人物の評伝を執筆。著書に『歌舞伎 家と血と藝』『国家と音楽家』『悪の出世学』『社長たちの映画史』など。
 

いしいたえこ/1969年、神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。著書に『日本の血脈』『原節子の真実』『女帝 小池百合子』など。