1ページ目から読む
2/5ページ目

「今の時代は、バツの1も2もないとやっていけない」

――ご家族のお話が出ましたが、麻美さんのご家族は、ご両親と3人兄弟の5人家族で、ご兄弟でお父さまが違うとのこと。どういった経緯で家族の関係がわかったのでしょうか?

麻美 私が20歳くらいのときに海外に行こうと思って、パスポートを作る準備をしていたんです。そのとき、なんとなく戸籍を見ていたら、姉と兄とは父親が違うようなことが書いてあって、もうびっくりして!すぐに母に電話したんですよ。「お父さん、違うじゃん……!」って。

撮影 鈴木七絵/文藝春秋

――お母さまはなんと?

ADVERTISEMENT

麻美 「今の時代は、バツの1も2もないとやっていけないし、いずれ、あなたがわかるときがくると思ってたから。あなたのためを思って、言わなかった」って言ってましたね。たしかに、苗字が違う郵便物が届いたりしてたんですけど、後から考えたらそういうことだったんだねって。

 それに、大人になった今も会ったことはないですが、フィリピンには父が認知している子どもがいるみたいです。

――麻美さん以外のご家族は、その事実について知っていたのでしょうか?

麻美 私以外、全員知ってましたね。そこはちょっとむしゃくしゃしたというか、悲しいなとは思いましたけど。私と姉は10歳、兄とは7歳、年が離れているので、父と母が結婚するときに、既に理解があったんだと思います。私に事実を言わなかったのも、みんなの愛情の裏返しだと思うので。

――事実を知ったあとも、兄弟の関係がギクシャクすることはなかったですか?

麻美 特に変わらなかったですね。ただ、事実を知って色々納得することはありました。

 父が私に対する接し方と、姉や兄に対する接し方が違うなっていうのは、ずっと感じてたんです。私はパパッ子で「パパ大好き!」みたいな感じだったし、父も私に優しくしてくれたと思います。でも、父は姉を「嫌いだ!」って怒鳴ってるし、お兄ちゃんに対してもあたりが強くて、時には手も出ていたと思います。

 父が姉に向って「お前はうちの子じゃない……!」とか、兄に「(母の実家である)山梨に帰れ!」「川から拾ってきた」って叫んでるのを聞いて、兄に「お兄ちゃん、うちの子じゃないってホントなの?」って聞いたこともありました。当時は、どうして父がそんな態度をとるのか分からなかったけど、いろいろ確執があったんだなって。

 その後、姉は私が8歳のときに東京に出てしまったし、兄は、私が16歳のときに突然亡くなりました。

――お兄さまがお亡くなりになったときの状況を教えて頂けますか?