――突如、日常が一変したような。
麻美 どうにかならないかって、他の病院も必死に探したんですよ。でも、どこにいっても、「このレントゲンでは、諦めるしかないです……」と言われてしまって。
当時、私は26歳でしたが、既にお母さんになっていた友達もいたし、自分も当然そうなるものだって、漠然と思っていました。でも、「どうしても、将来子どもが産みたいんです!」って、色々な先生に伝えましたが、返ってくる言葉は同じでしたね。
また、告知を受けた日は、マスカッツの最後のライブの写真撮影の日でした。何食わぬ顔をして現場に行って、笑顔の写真もたくさん撮りましたが、正直、心ここにあらずでした……。
運よく人工肛門は逃れることはできたけれど……
――その後、2月25日に手術をされました。どのような内容でしたか?
麻美 子宮と両卵巣、大網という腹膜を摘出して、腹水を2ℓくらい抜いたり、輸血をしたり。あと、人工肛門は逃れることができました。これは、手術中に行われた診断で、「悪性腫瘍」ではなく、「境界性悪性腫瘍」だったからと後から言われました。「境界性悪性腫瘍」は、良性と悪性の間にある病変と聞いています。
また、がん細胞がお腹の中にばらまかれている状態の「腹膜播種」というものがあって、この時点での腫瘍の進行期は、ステージⅢbでした。手術前に先生たちがレントゲンを見て「卵巣がん疑い」って言ったのも、「境界性悪性腫瘍」はそこまで進行するものではなく稀だったからみたいですね。
――2月25日に手術。そこから1週間ほどの一時退院を経て、3月21日から約半年に及ぶ抗がん剤治療が始まったそうですね。
麻美 最初の投与は4泊5日入院して様子をみて、2回目以降は2泊3日で月1回のペースで計6回、抗がん剤を打ちました。ただ、この抗がん剤治療が、想像を超えてハードで……。
吐き気が出るとは聞いていたけど、抗がん剤を投与している瞬間から気持ち悪い。吐き気止めをもらっても気持ち悪い。もう、色々気持ち悪かったっていう印象しかないですね。抗がん剤もアルコール「無」、「有」があって、はじめはアルコール「有」から投与したら、元々アルコールが苦手だったこともあったからか、しびれが出てきてしまって。歩くのもおぼつかないくらいで、日常生活にも影響が出てしまったので、アルコール「無」のものに変えてもらいました。
――髪の毛はいかがでしたか?
麻美 抗がん剤投与して2週間くらいかな。4月2日くらいから少しずつ抜けて、頭がすごいヒリヒリ痒く痛くなってきて。4月4日には、手ぐしで髪の毛をとかしただけでも、パサーって抜けました。