25歳で子どもを産む選択肢がなくなってしまったのは本当に辛かった
――25歳で手術をした際、子宮と卵巣を全摘出されました。手術から10年経った今、どんなことを思いますか?
麻美 25歳にして、将来子どもを産む選択肢が無くなってしまったことは、本当に辛かったです。辛い辛いって言ってもしょうがないので、子どもがいなくても楽しめるような人生を歩めたらいいなって思って、前を向くようにはしていたとは思うんですけど。
ただ、今でも、ふとした瞬間に、街中にいる家族連れや、子どもがいる友達を見ていると思うんですよ。私も病気じゃなかったら、こんな風に子どもと一緒に居られたのかなって。
でも、そこに引っ張られるとまた悲しくなってしまうので、自分は自分って考えるようにはしていますね。
――手術後に新たにお付き合いをされた方もいるそうですが、何かお話はされましたか?
麻美 相手の方とは、私の体の状態を知った上でお付き合いが始まります。結婚や子どもの話になったときも、「それでもいいよ」って、受け入れてくれる方もいました。
でも……、やっぱり相手だけでなく家族の関係もあるし、まだハードルが高い部分もあるというか。自分が結婚して子どもを産む、産まないっていう選択ができないので、相手が子どもを欲しいか欲しくないか。欲しい方なら代理出産とか、そういった選択肢もありますし。相手との話し合いなのかなって思っています。
――この10年で、ご自身で変わったと思うこと、気づいたことはありますか?
麻美 ん~、時間の使い方とか、余白をもっと大事にすれば良かったとは思います。元々、じっと立ち止まっていられないタイプなんです。いつも目の前のことに必死で、ガムシャラ。でも、忙しすぎて、こなすだけになっていたり、余裕がなくて自分の首を絞めていた気もするし。病気をした後は、立ち止まることの大切さ、空白の時間っていうんですか。一人で色々考える時間も、より大事にできたらいいなって思いますね。
あと、人との繋がりとか、当たり前に過ごすことが当たり前じゃないっていうのも分かったんですけど……。もっと、自分本位に生きてみようかなって思いました。ずっと人の目を気にして生きてきた気がするんです。これを言った方が正解みたいなことをすごく求めていて。
病気になったのも、それだけが理由じゃないんだろうけど、色々考えすぎて、自分のことより周りのことって考えちゃっていたし、いつも自分を取り繕っていたんじゃないかなって思います。