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――マスカッツの解散ライブは、1回目の抗がん剤投与が終わって、4月6、7日の2日間のうち、最終日の7日に参加されました。まだまだ体調が万全ではない状態だったと思います。

麻美 何が何でも、解散ライブのステージは立ちたかったんです。解散ライブに出ることが、闘病中の一つの目標でもあったし。髪の毛がないならカツラにすればいいし。演出家のマッコイ(斉藤)さんたちも、どんな形でもいいから出させてあげたいって仰ってくださって。

 確かに体調は万全じゃなかったですけど、ステージに出ているときはそれを忘れてしまったくらい。自分を待っていてくれた場所というか、あの空間にいられたことは、本当に嬉しかったです。

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 ライブから2週間後には、2回目の抗がん剤投与がありましたが、ライブに出て、また元気になって戻ってきたい。そう思えたライブでした。

誹謗中傷は覚悟していたけれど、同じ病気の人への誤解を招きたくなかった

――また、2013年6月には、Twitter上で病気について公表されました。反響はいかがでしたか?

麻美 思っていた以上に励ましの言葉が多かったのは、嬉しかったですね。ただ、職業上、どうしても婦人科の病気とセックスが結びつけられてしまう。「セックスのし過ぎで病気になった」「自業自得だ」って。いたたまれなかったですね。自分だけでなく、家族への誹謗中傷があったし、同じような病気をしている人にも誤解を招いてしまったのではないか。たぶん、何か言ってくる人は本当のことが分からずに言ってくるんだろうって思ったんです。先生に再度説明を受けたり、どんな形でもこれからちゃんと伝えていかなきゃなって思いました。

闘病中(本人提供)

――2013年に手術をされてから2023年で10年経ちます。改めて、この10年を振り返って、いかがですか?

麻美 病気を機に、AV女優から新たな自分へのステップアップなのか、未知の場所に放り出された感じではあったんですけど……。

 麻美ゆま=AV女優としてやってきたので、AV女優の名前が無くなって何しよう、何ができるんだろうっていうのは、今でもあります。

 手術後は、抗がん剤を打っていた期間や、フルで働けない時期は貯金を切り崩しながら生活していました。時間にも余裕があったので、お弁当屋さんで2年くらいアルバイトもしたかな。あとは、チャリティーライブに出たり、歌をメインに活動したり。

――志村けんさんとも舞台で共演されたそうですね。

麻美 志村さんとご一緒できたことは大きかったです。志村さんは、仕事に対してとことん突き詰めるような職人のような方で、誰に対してもスマートな対応をされていました。そんな姿を間近で見られたことは、宝物と言える時間を頂いたと思います。あと、会話を楽しむために、「ボケ」と「ツッコミ」の「ツッコミ」を覚えたらいいよって教わりました。たとえば「そこ違いませんか……?」って、えっとまだツッコミ下手なんですけど(笑)、ツッコミを大事にするようにって。志村さんには、たくさん美味しい食べ物やお酒も教えてもらったし、麻布十番もよく連れていってもらいましたね。それまで食べられなかった、ウナギも食べられるようになりました(笑)。