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「なぜそんなセコい発想になるんやろ」「見るべきは親の所得ではなく子ども自身」泉房穂明石市長が“所得制限”に断固反対するワケ《撤廃ムーブは日本に芽生えた“希望”》

「なぜそんなセコい発想になるんやろ」「見るべきは親の所得ではなく子ども自身」泉房穂明石市長が“所得制限”に断固反対するワケ《撤廃ムーブは日本に芽生えた“希望”》

泉房穂明石市長インタビュー#1

genre : ライフ, 社会

note

政治家引退後の活動「これからは監督と脚本に徹する」

――市長は昨年の暴言事件の後、今期限りでの政治家引退を表明されました。市民からは惜しむ声も上がっているようですが、今後どういった活動をされていくご予定ですか?

 4年前に、あれだけ反省して再出馬して再選させてもろたのに、また去年暴言事件を起こしてしまったことは本当に申し訳ない。深く反省しております。ほんま、私のあかんとこやな。

 

 でも12年明石市長を務めさせてもらって、そろそろ明石で実践したことを外に発信していく時期なんちゃうかなとも思い始めていました。これまでは明石市長として監督・脚本・主演、全部を自分でやっているイメージやったけど、これからは監督と脚本に徹して、新しい場所で発信したり、新たな人材を育成したり……。別の形で社会をよくしていきたいと思っています。

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 そうやって、最後は“お地蔵さん”になれたらええな。

――お地蔵さんですか?

 そうそう。私の実家の玄関の横にはお地蔵さんがあって、幼い頃から親父やおふくろと一緒に「弟が立って歩けますように」と拝むのが日課でね。お地蔵さんってなぜまち角にみすぼらしい姿で立ってるか、知っていますか? 

自分の幸せは最後 人々の幸せを見届けたい

――いえ、なぜでしょうか。

 お地蔵さんはすべての生きとし生けるものを救うまで仏にならないと誓って、いつも市民や子どもを見守ってまち角に立っているんだそうです。私はその話が好きでね。

 市長になると決めた小学生の頃から、自分が生きている間に「ひとりも取り残さない」完璧な社会を実現するのは難しいとわかっていました。自分はその過程を作る、「中間ランナー」にしかなれないだろうと。だからせめて、すべての人々が幸せになるのを見届ける“お地蔵さん”になりたいと思っていました。

漁村で育った幼い頃の泉市長。当時の体験が「ひとりも取り残さない社会」への原動力となっている

――自分の幸せは最後でいい、と。

 ええ格好しいやと思われるかもしれませんけど、そうですね。よく「市長いつ寝てるんですか」と聞かれるんだけど、「死んだら寝るわ」って言うてるねん。寝溜めの逆やね。まだまだやらなあかんことがあるから、寝てる暇ない。ありがたいことに最近は取材も増えてきてることやし、もっとやさしい社会を実現するために発信していかなあかん。

 ただ、これまでは現職の市長やからメディアに出てもさすがに100%本音では話してなかったつもりやねん。これでも奥歯にモノが挟まった感覚があります。肩書がなくなったら、ついつい本音が出てしまいそうやから、これからはもっと言葉には気を付けなあかんな(笑)。

写真=文藝春秋 撮影=山元茂樹

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