岸田首相が「異次元の少子化対策」を最重要項目として掲げたことで関心が高まっている子育て世代への支援。東京都の小池百合子都知事や、大阪府の吉村洋文知事らが次々と独自の支援策を表明する中で、12年前から明石市長としていち早くこの問題に取り組んできた泉房穂市長の発言に、注目が集まっている。
泉市長といえば4年前、雑居ビルの立ち退きを巡って「火つけて捕まってこい」と発言したことが問題視され、一度は市長を辞任。その後、再出馬して三選を果たしたものの22年に自身に対する問責決議案を巡って「選挙落としたる」と発言。謝罪し、任期の切れる今期限りで政界を引退することを表明したばかりでもある。
しかしそんな泉市長に対する、明石市民の信頼は厚く、「辞めないで」という声が市民から多数あがっているのも事実――。「暴言市長」は一体どんな人物なのか。
(全2回のうちの2回)
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最初の4年間は総スカン状態
――泉市長は2011年の市長選に立候補、69票差という僅差で勝利しました。
泉 支持してくれる政党も業界団体もなし、支持母体は完全に市民だけでした。69票いうたら35人が翻意すれば私は落ちていたわけです。ほんまに市民一人ひとりの「1票」の力で、市民とともに勝ち切ることができました。
でも市民が「私があの市長を作ったんや」と誇りに思ってくれるようになるまで、ある程度時間はかかりましたね。
――当初の風当たりは強かった。
泉 私の現職期間をあえて3つにわけるとすると、最初の4年間は総スカン状態。すでについていた予算を削って子育て支援に回したわけだから、いわゆる既得権益周辺は大激怒で。子育て層は助かっていたでしょうが、それを口にするのも憚られるくらい、まちの空気は悪かったです。
子育て支援で起きた“不動産バブル”
――子育て支援に対する理解が得られるまでには時間がかかったんですね。
泉 人は「優しくなって」と言われて優しくなれるわけじゃない。商店街、建設業界、高齢者、すべての人たちが子育て支援からなんらかのメリットを感じなければ、まちの空気は変わりません。
でも私は子育て世代を応援して子どもが増えれば、必ず経済が上向いてくる、人が集まって明石市が誇れるまちに変わることができると信じていたから、迷いは一切ありませんでした。
――その効果が表れ始めたのはいつ頃だったのでしょう。
泉 数年で明石駅前の地価が上昇倍増し、子育て層が転入してきて不動産バブルが起きました。商店街の来客者数も増えて賑わいを取り戻して、コロナ禍で最高益を達成。反対していた市民も「市長さん、子どもってええな」と手のひらを返して歓迎するようになってね(笑)。子どもに対する感謝が生まれると同時に、子育て支援を手伝いたいという人たちが声をあげられるようになってきました。