定時制高校を退学になった後も暴走族に所属して副総長を務め、覚醒剤や暴走行為に耽っていた吉永さんだが、18歳の出来事で人生が一変することになる。
「仲間とバイクで暴走していた時に警察に捕まったんですよ。当時は警察も甘くて、捕まったと言っても逮捕されたのは運転手だけ。俺は特攻服を着て後部座席にいたんですが、『無理に乗せられた』と言ったらお咎めなしでした(笑)。ただその時に尿検査をさせられて、それで覚醒剤の反応が出たんです」
しばらく音沙汰がなかったが、尿検査を受けてから半年後に自宅を警察官が訪れ、逮捕された。
「19歳の春でした。その頃はもう覚醒剤をやめていたんですが、半年前の覚醒剤の陽性反応と、暴走族の仲間が起こした暴力事件の共犯、暴走行為などの罪を問われることになりました。鑑別所に1カ月いて、やはり教育が必要ということで少年院に送られました。あの半年は本当に地獄でした」
吉永さんが長崎県の佐世保少年院に入ったのは1997年5月のこと。「矯正教育が必要かどうかを判断する場所」である鑑別所では規則もゆるく自由に振る舞っていた吉永さんだが、まさに「矯正教育が行われる場所」である少年院は甘くなかった。
「少年院にいる人は全員いんきんたむし」
「私語禁止、手紙のやり取りや目での合図などの通信も禁止、よその部屋をのぞくのもダメ……と出来ないことだらけ。トイレも集団で、朝は大便があるんで5分、後は1分。就寝時は眠りに入るまで天井を向いていなきゃいけないというのもありました。それまで忍耐とはほど遠い生活をしてきた俺には耐えがたいルールばかりでした。
中でも一番きつかったのは草むしり。真夏に2時間、勝手に休むことも許されない。今も思い出します。全身から汗が吹き出すのですが、風呂は夏でも週に3回だったので、タオルで拭くことしかできないんですよ。全員汗臭かったです」
少年院のあまりに過酷な生活は後に社会問題化して改善されたが、90年代は衛生状態もひどかったという。
「風呂に入れないことに加えて、パンツが入所者で使い回しなんです。過去に使った人の名前がいくつもマジックで書かれては斜線で消された跡がある。色も白ではなく茶色くなっていました。そんな状況なので、少年院にいる人は全員いんきんたむし(感染症)になっていました。職員の暴行も行われており、顔が腫れると面会者が来た時にばれるから、だいたい腹を殴られるんです」