南米生活最後の1年は、ブラジルだった。
「ブラジルでは、これも親父のつてで『ホテル王』と呼ばれていた日本人のところに住み込みで潜り込みました。日本人移民者の中で最も成功した1人と言えるでしょうね。大西洋に面したマセイオという町で、南米のハワイと言われるような風光明媚な場所でしたが、仕事はラブホテルの清掃。ゴム製品のコンドームと他のゴミを分別するんですが、手袋がなくて素手なので手が精子まみれになる。そんな手では汗も拭けず、少年院を思い出しました」
エクアドルやペルーも楽しんでいたが、吉永さんは特にブラジルの明るい民族性が気に入ったという。相変わらずナンパにも精を出していたが、同時にポルトガル語の勉強も欠かさなかった。ブラジルでの1年間はあっという間に過ぎ、ついに帰国の時がきた。
「日本へ帰国する頃には、絶対にまたブラジルに来たいと思うようになっていました。そして実際、日本に1年ほどいた後にブラジルに戻りました。今度は親父の指示ではなく自分の意志です。3年の南米生活で『アマゾンに住んでみたい』という気持ちが強くなっていて、現地の日本人協会を頼って、コショウ農園に住み込みで働かせてもらうことになりました」
「家の中に猛毒を持ったタランチュラが普通にいて」
意気揚々とブラジルへ到着し、アマゾンへ向かった24歳の吉永さんだが、憧れと現実の乖離は大きかった。
「アマゾンは虫が想像をはるかに超えていて、さすがに心が折れました。家の中に猛毒を持ったタランチュラが普通にいて、風呂場には大量のヒル。寝ている部屋にコウモリやドクヘビ、サソリも入ってきます。虫が苦手なタイプではないと思っていたんですが、さすがに無理でした(笑)。お世話になった男性とも数カ月で大喧嘩してしまい、アマゾンを出てサンパウロへ向かいました」
サンパウロで日本人移民の男性と知り合い、今度はブラジル南部のポルトアレグレから近いビアモンという街で生活することに。ビアモンの人口は約20万人、日本人は吉永さんと移民男性の2人だけだった。しかし吉永さんはこの街が気に入り、現地でマイカーを購入し一人暮らしも始めた。
仕事も見つけ順調に南米生活を再スタートさせた吉永さんだったが、ブラジルの治安状況はそれを見逃してはくれなかった。