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《岩田明子氏が初めて聞いたエピソード》安倍晋三が凶弾に倒れた際、妻・昭恵の脳裏に真っ先に浮かんだ言葉とは

安倍晋三秘録 第6回

2023/02/14
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「もう一度総理になってください」

 2020年8月28日、安倍が第二次政権の退陣を表明。その際の会見では「拉致問題をこの手で解決できなかったことは、痛恨の極みであります。ロシアとの平和条約、また、憲法改正、志半ばで職を去ることは、断腸の思いであります」と語っている。拉致問題は、安倍が悲願に掲げた憲法改正や平和安全法制の整備、日露交渉と並んで、政治家としての最重要課題だった。

 拉致被害者の家族も安倍に多大なる期待を託していた。1983年に留学中のロンドンで拉致された有本恵子さんの父親は、退陣表明後に安倍の事務所を訪ねている。

「日本のために是非、もう一度総理になってください……」

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 有本さんの父は、隣室にも届くほどの声で懇願したという。忸怩たる思いだった安倍は言葉に詰まりながら「天が必要としたときには、また頑張りますから」と言う他なかった。

 拉致問題がマスコミに取り上げられる前から、安倍は熱心に取り組んできた。父晋太郎の秘書時代に有本さんの両親が安倍事務所を訪ね、「娘を取り戻してほしい」と依頼したことがきっかけだ。だが、事務所として警察庁や外務省を紹介するなどの対応を取ったが、進展は見られなかった。この時の無念さが安倍の胸には燻り続けた。以来、安倍は北朝鮮に毅然たる姿勢を取り続ける。一方で安倍が政治家として注目を浴びたきっかけも拉致問題だった。

 大きな進展を見せたのは冒頭に触れた第一回の小泉訪朝だ。当時、外務省の田中均アジア大洋州局長が「ミスターX」と極秘裏の交渉を重ね、その末に訪朝を実現。内情を知るのは、官邸では小泉、福田康夫官房長官、古川貞二郎官房副長官などごく少数に限られ、安倍は小泉が記者発表をする8月31日直前まで知らされていなかった。おそらく拉致被害者家族会と距離が近かったため、情報が洩れることを懸念したのかもしれない。

横田夫妻と安倍元首相 ©時事通信社

 それでも安倍の強硬姿勢は一貫していた。平壌の百花園招待所で開かれた日朝首脳会談。金正日が拉致を認めようとしないのに対して、交渉の限界を感じた安倍が、昼休みに控室で「拉致を認めない限りは、日朝共同宣言に署名すべきではない」と小泉らに訴えたのは有名な話だ。北朝鮮側に盗聴されていることも承知の上だったという。また、同年10月15日に蓮池さん夫妻や地村さん夫妻、曽我ひとみさんが帰国。田中均などは5人を再び北朝鮮に帰すべきとの主張をしていたが、ここでも安倍は断固反対の姿勢を崩さなかった。

 この頃、安倍は事情を聞くために、帰国間もない5人が住む新潟、福井に度々足を運んでいる。私も何度も同行した。北朝鮮に家族を残してきた蓮池さんらは「北に帰りたい」と表向きは口にするが、安倍は本心ではないと見抜いていた。そのため、あくまでも日本政府の意志として帰国させない方針を決定したのだ。北朝鮮での悲惨な暮らしぶりをすべて聞き取ったうえでの判断だった。後に蓮池薫さんは安倍にこんな趣旨のことを語っている。

「日本に帰国が決まった際に北朝鮮の幹部から『北朝鮮に戻りたいのか? それとも日本に永住したいのか?』と聞かれました。しかし、その幹部は『空調の音がうるさい。止めろ』と指示したんです。すぐに自分が盗聴されていると感じました。日本に帰国後も、北朝鮮の工作員と思しき特徴ある人物が、突然、私の前に姿を現すんです。それは“監視している”というサイン。自由に喋ることなんてできません」