歯をペンチで抜かれそうに…信じ難い次女の供述
こうした状況に嫌気がさし、2011年夏頃、まずXの父親が出て行った。続いて長女と次男も相次いで出て行った。Bも虐待に耐えかねて逃げ出し、病院に運ばれたが、全治6カ月の重傷と診断されながらも、警察には被害申告をしなかった。
Bと長女がいなくなってからは、次女が家事全般を担当させられた。小林被告の次女に対する虐待は子どもたちの中でももっともひどく、事件後に捜査当局に事情聴取された次女の供述は信じ難いものだった。
「もうやられた順番は分かりませんが、殴る蹴るはもちろん、金属バットや木刀でも殴られ、髪の毛をつかんで壁にぶち当てられ、スタンガンを押しつけられたこともあった。寝ていたら顔を踏みつけられ、階段の上から突き落とされ、背中にカカト落としをされて、息ができなくなったこともありました」
気絶するまで殴られ続け、全身がアザだらけになった。小林被告は次女が痛がっている様子を見て、大笑いしていたという。暴力を受け始めてから食事制限され、食事は茶碗1杯の冷や飯が1食だけだった。理由は「働いてへんのやから、食わんでもええやろ」というものだった。
〈水は1日3杯に限定され、お風呂は何日も入れない。1人で外出するのも禁止。トイレに行くのも許可が必要でした。Xの父が家から出て行ってからは、一気にエスカレートしました。長かった髪を切られて丸坊主にされ、まつげも切られました。あつあつのヘアアイロンに手を挟まれたり、熱い油を飲まされたり、根性焼きも何度もされました。風邪薬を一気に60錠も飲まされて、トイレから出られなくなったり、歯をペンチで抜かれそうになって、血だらけになったこともありました。母の命令で、高級化粧品を万引きさせられたこともありました〉(次女の供述調書より)
家には小林被告が出会い系サイトで知り合った男たちが次から次へと出入りし、「こいつには何したってもええで」などと言われ、暴力を振るわれたり、エアガンで撃たれたりしていた。
〈それより辛かったのは母に援助交際をさせられていたことです。稼いだお金はすべて母に巻き上げられました〉(同前)
小林被告の鬼のような所業は、これだけではなかった――-。