銀座や西荻窪のシャンソン・バーでのピアノ演奏。美輪明宏ら有名歌手の伴奏もあれば、店に来た客の伴奏もあった。西荻窪の店では遊びに来た友人の柄本明の伴奏をしたこともある。
後年、自身がDJを務めるラジオ番組に柄本明を招き、その再現ということでスタジオで柄本明に歌ってもらい、ピアノの伴奏をしている。
大学生の時に生まれていた電子楽器への興味
まさに波乱の大学生活を送った坂本龍一だが、音楽の勉強はなおざりにすることがなく、とくに民族音楽と電子音楽の勉強には貪欲だったようだ。民族音楽は藝大の小泉文夫の授業には必ず出席。いっぽう、電子音楽の勉強に関してはシンセサイザーなど電子楽器を揃えた音響研究室に入り浸るかたわら、学外にも出かけた。作曲に数学的な手法を取り入れ、コンピューターを使って複雑な計算をしたいということで東京大学の工学部に赴いて勉強をした。
「大学3年生のとき東大の工学部にコンピューターを使って音楽を作る先生がいるということを聞いて、そのゼミを見学にいきました。IBMの巨大なコンピューターでパンチカードを七千枚ぐらい使って、それを読み込ませてコンピューターに音楽を弾かせる。でも、七千枚使っても自動演奏できるのはモーツァルトのソナタ程度なんだってがっかりした憶えがあります。コンピューターを使って人間の感情を入れず論理的、数学的に作曲したらどうなるかということに興味があったのだけど、その頃は簡単に使えるコンピューターもないし、残念ながらそのときはそこまでだった」(※※)
正統的な西洋のクラシック音楽はすでに袋小路に入ってこれ以上の進歩はないだろうと感じていたため、そこから外れた民族音楽を学び、電子音楽ではコンピューターを駆使すれば音楽エリートのプロパーな作曲家だけでなく、一般の人々でも音楽を作ることができるはず、そこに音楽の希望があると感じていた。これは、後にパーソナル・コンピューターが普及し、音楽関係のソフトウェア、アプリケーションが多く出現したことである程度は実現することになる。
※2016年の『Year Book 1971-1979』(commmons)ブックレットのためのインタビュー取材(※※)から抜粋。