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首都圏の北半分をまわる“ナゾの路線「武蔵野線」の途中駅”「南越谷」には何がある?

2023/02/20

genre : ニュース, 社会,

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「貨物列車優先路線」だった頃の武蔵野線はというと…

 実際、武蔵野線の沿線には多くの貨物駅が設けられた。1974年には現在の新三郷駅付近に武蔵野操車場という最新技術を採用した日本一の規模の貨物専用操車場も開業している。

 そうした事情もあって、開業直後の武蔵野線は旅客列車の扱いがひどく悪かった。ラッシュ時こそ15分間隔だが、日中になると45分間隔でしか列車が走らない。

 いくら貨物優先といっても、それじゃあ沿線住民は不便に過ぎる……と思いきや、もともと市街地から外れた田園地帯ばかりを通したおかげで、たいした問題にはならなかったようだ。南越谷駅も、そうした武蔵野線の旅客駅のひとつであった。

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 古い時代の地図や航空写真を見てみると、南越谷駅付近はまったくの田園地帯である。旧日光街道沿いにいくつか建物が見え、あとは北側の越谷駅付近に市街地が広がる。その市街地は旧日光街道の越ヶ谷宿をルーツに持つ町で、越谷市の本来の中心はそちら、ということになる。

 いっぽうで、南越谷駅周辺にはスカイツリーライン(伊勢崎線)の駅もなく(ほぼ同じ場所に蒲生駅があったが、明治時代に南に移転している)、まったくただの田園地帯に過ぎなかった。そんなところに武蔵野線が通って、1973年に南越谷駅が開業する。それはまさしく、田園地帯が住宅地へと激変していく第一歩だったのだ。

「『南越谷に何がある?』とシンプルに問われればここを挙げるのがいちばん正しい」

 越谷貨物ターミナルから再び旧日光街道を渡り、再び駅に向かって戻る。マンションや住宅地が建ち並び、その中に凜とそびえるのが獨協医科大学埼玉医療センター。

 この地域一帯の医療を支える大病院であり、「南越谷に何がある?」とシンプルに問われればこの病院を挙げるのがいちばん正しい。町を歩いていてもときおりサイレンを鳴らした救急車がやってくる。駅から歩いても5分とかからず、なかなか便利な場所にある病院だ。

 
 

 病院の北側には郵便局職員のための社宅団地があって、さらに北には戸建て住宅が密集するエリア。南北のスカイツリーラインの反対、北西側に出ても戸建て住宅密集地が続く。

 古い航空写真を頼りにこの地域一帯の発展のあゆみをうかがうと、駅北西側の住宅地がいちばん最初に造成されたであろうことがわかる。いま、ここに住んでいる人はその当時からの住民が多いのだろうか。だとすれば、もう50年もこの町で暮らしていることになる。

 

 1973年に南越谷駅が開業し、その翌年には乗り換え駅として東武伊勢崎線の新越谷駅が開業する。その時点ではまだ周辺の開発はほとんど進んでいなかったから、東武の駅も各駅停車しか停まらない小さな小さな駅としての開業だった。