――87歳とは思えないほどエネルギッシュですよね。街の印象はどうでしたか?
小野 僕たちが今まで回ってきた他のインドの都市の路上はゴミだらけ。なのに、お寺のあるナグプールにはゴミがない。いつも街の人が掃除しているし、目を見てきちんと挨拶してくれるし、めちゃくちゃ親切で幸せな顔をしているんです。世界中探してもこんな都市はほかにありません。
もともと、この街はかつてスラム街で犯罪も多く、最下層の奴隷カーストにさえ入れないアウトカーストの人々が暮らす貧しい場所だったと聞いています。それが佐々井さんが来てから50年かけて仏教都市に生まれ変わった。街に道徳がすみずみまで息づいているんです。
その時に、佐々井さんから「しばらく北の仏教徒の街をまわってきたらいい。それで3週間後に大改宗式があるから戻ってこい」と言われたんです。
“前世”の自分は欲に溢れた人間だった
――大改宗式は、仏教に改宗したい人やお坊さんになりたい人がインド中から集まるインド仏教の最大の儀式ですね。
小野 ええ、北部に行く前、佐々井さんから「改宗式では小野君も坊さんになれ! 衣もやるぞ」と、10回くらい言われました。旅に出る前は、坊主になりたい気持ちは全くなかったんですけど、インド北部をまわるうち、「佐々井さんのように自分も誰かのために生きられたら」と思うようになったんです。
――ビジネスでも誰かの役に立っていたのでは? 私も小野さんが作った「ジモティー」にはお世話になりましたよ。
小野 結果としてそうだったら嬉しいですが、それでも何も持たずに街を変えた佐々井さんとは全く違います。資本主義にどっぷり浸かった前世の僕は、もっといい暮らしをしたい、もっとお金がほしい、もっともてたい、と欲に溢れた人間でした。
「俺、ワンチャン、坊主になってインドから帰らないかも」
――その欲まみれの「前世」の話は、後編でゆっくりお聞きするとして、誰かの役に立ちたいのであれば、ボランティア系の財団を設立するという手もあると思うんですけど、どうして仏教だったんですか?
小野 実はCEOを辞めた時、海外の世界的に有名な財団から「うちで働かないか?」とお声がかかったんです。提示された給料がものすごく高かった。でも何かおかしいと思いませんか? そのお金を貧しい人に使えばいいのに。
財団なんて作らなくても仏教の教えだけでナグプールは生まれかわった。お金ではなく、人の心が変わったから平和な街になったわけです。
――ただ実際は、私が取材中、佐々井さんの口癖は「お金が足らん!」でした(笑)。身寄りのない人のための養老院や孤児院などを運営されていましたが、常に火の車のようでした。それでも、なんとかお布施が集まって施設が続いているのは、「自分が貧しくても、困っている人のために」という仏教の教えが人々の心に根付いているからかもしれません。
小野 そうですね。不思議なことに、その時、自分は日本で生活しているより、このままインドにいるほうが自然な気がしたんです。佐々井さんがお元気なうちにお傍でいろいろ学びたい。それで、タカハシに「俺、ワンチャン、坊主になってインドから帰らないかも」と打ち明けたら、タカハシが「いいんじゃない? ちょうど俺、コレ持ってるし」とバリカンを取り出したのです。
――バリカン!?