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「もっとモテたい、もっと儲けたい」で“数字の奴隷”に…イケイケのIT起業家が“資本主義”を捨てて“出家”するまで

小野裕史さんインタビュー#2

2023/02/25
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宇宙に興味があり、一浪して東大へ

――病院に?

小野 ええ、診断されて何かしら病もあったんだと思うのですが、小学校3年生から4年生までメンタル系の病院にずっと入院することになって、病院の中の学校に通っていたのを覚えています。うちは貧乏なのに入院して両親にお金を使わせてしまったという罪悪感がすごくて、勝手に闇を抱えていたんでしょう。その頃、わざと病院の便器に大量のトイレットペーパーを詰まらせて非常ボタンを押す子がいて……それ僕なんですけど(笑)。で、看護師さんがあわてて来るのを隠れて柱の陰から見てました。

――えっ、何でそんなことを。

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小野 構ってほしかったのか、今となっては分かりません。それで、小学校5年生から学校に戻ったのですが、自分が憧れるにぎやかな人のそばで、その人のふるまいや話し方の真似をしているうちに普通に話せるようになった。僕の人生って、常に誰かに引っ張ってもらっているんです。

――その後、中学、高校と進まれて、当時から将来はIT系を目指していたんでしょうか?

小野 いいえ、僕が高校生だった90年代の初頭、まだ家庭にはコンピューターがありませんでした。その頃は、宇宙に興味があって、なぜ宇宙があるのか、それは何かを知りたかった。それで一浪して宇宙物理のある東大に入学しましたが、研究室の話を聞いているうち、何かちょっと違うなと。宇宙って大きすぎて手が届かないし、触れられないものなんです。それで、教養課程が終わった後、3年生から生物を専攻することになりました。

バイト仲間の学生たちと(一番上が小野さん)。浪人時代に暮らしていた予備校の寮に、合格後も住み込みで寮生たちの世話をした(小野氏提供)

「iモードすごい!」からプログラミングを独学で勉強

――どうして宇宙から生物なんですか?

小野 人間の体や脳って、分かっているようでほとんどが解明されてないんです。そうか、小宇宙は自分の中にあるじゃないかと。宇宙と違って自分の体なら触れるし。それで脳神経を作る遺伝子の研究をすることになりました。

――ITからだいぶ遠くなっていますが(笑)。

小野 しかも、その頃の僕は就職するつもりは全くなかったので、生物学者を目指して大学院まで進みました。ところが、1999年の2月、大学院1年生の終わりにドコモの「iモード」のサービスが始まったんです。こんな手のひらの中の小さな携帯電話からいつでも世界につながれる。「iモードすごい!」って。

――キャリアメールの送受信やホームページの閲覧ができる世界初の携帯電話IP接続サービスですね。スマホが当たり前の若い人はその衝撃は分からないでしょうけれど。

小野 そうでしょうね(笑)。当時は大学の研究室でもパソコンやインターネットが徐々に整備され始めたくらいでしたから。それで、貧乏学生だったけれど、iモード端末を奮発して買って、先輩から古いパソコンを5000円で譲ってもらいました。プログラミングを独学で勉強して掲示板を作ったんです。