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ビル・ゲイツやイーロン・マスクのようになったところでハッピーなのか?

――数字の奴隷?

小野 尾崎豊の曲「シェリー」には、「金か夢かわからない暮しさ」というフレーズがあります。僕も誰かのお金でしか、自分の価値を測れないことに気が付いたんです。このまま突っ走って、自分は例えばビル・ゲイツやイーロン・マスクのようになったところで、果たしてハッピーなのだろうか?と。「より高く」を求められても、数字は永遠には増えることはないんです。

――どういうことですか?

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小野 人類は今、急激に増えていますがある時を境にまた急速に人口が減ることがもう予想されています。将来のマーケットがどうのとか言っていても、ずっと成長し続けるのは嘘なんです。それに化学変化が起きても物質の総質量は変わらないという「質量保存の法則」って学校で習ったはずなのに、「お金は増えるべき」という世界の概念は宇宙の法則に反するような気がして。だからいくら数字を作っても満たされない。

 そのモヤモヤを吹き飛ばす手段がランニングだったのかもしれません。タイムが縮めば単純に嬉しいし、自分が立てた目標が達成されれば爽快です。

――2009年の夏に国内のハーフマラソンから始めて、翌年にはトライアスロンや山岳マラソン、それに飽き足らず、2、3年後には、南極や北極、砂漠などの極地マラソンへ進み、2013年のアタカマ砂漠マラソンでは、3人チームで世界一にもなりましたね。

小野 その頃は毎週末、どこかの国や地域のマラソンやトライアスロンなどの大会に出場していましたね。「できるかな、どうだろう?」と思う前に、「ノータイム・ポチリ」といって、考える前に参加をポチってしまう。「これを完走するには、今からどういう計画を立てようか?」という逆算で計画するんです。

「ジャングルマラソン」を最後に大会出場をやめた

――最近も参加しているんですか?

小野 いいえ。はじめて5年、2013年のブラジルのジャングルマラソンでリタイアしたのを最後に大会に出るのはやめました。その少し前に親しい人がガンになって、まるで人生を早送りするかのように亡くなりました。自分はその時、人が死にゆく瞬間をはじめて見たんです。その時に自分もいつ死ぬか分からない、だからやりたいことは全部やろうと。

ブラジルで行われたジャングルマラソンに参加した小野裕史さん。高熱が出て無念のリタイア(小野氏提供)

 それで今まで出場したどの大会よりも過酷なそのブラジルのジャングルマラソンに参加することにしました。リュックを背負って7日間もかけて250キロも走るんですけど、ヘビやタランチュラがいるから夜はハンモックで寝るんです。

 ちょうど文藝春秋から『マラソン中毒者』という本を出版し、出発前には大きな壮行会を開いてもらったり、NHKの取材もあって、有頂天になっていた時期でした。それなのに2位争いをしている途中で熱が出てリタイアしたのが自分としてはすごくショックで。

――マラリア蚊に刺されたのでしょうか?

小野 いいえ、おそらく高温多湿で虫まみれの環境やプレッシャーなどが原因でしょう。さらに追い打ちをかけるように手も痺れてきて、その時はもう何か罰に当たったのかと思いました。

 ところが、後で医者に診てもらったら、手の麻痺は「ハネムーン症候群」のせいだと言われました。新婚の時に嫁さんに腕枕をして手がしびれて痛くなるでしょう? どうやら自分の手を枕にして船の甲板で寝ていたら、そうなってしまった。「ひとりハネムーン症候群」って情けないですよね(笑)。アマゾンのど真ん中の小さなボートの上で、何日もの間、本部に戻れず寝ているだけ。さすがに落ち込みましたね。