お釈迦様の言葉に救われた
――寝込んでいる間、どうしていたんですか?
小野 タブレットに何十冊も電子書籍を入れておいたのですが、その中にお釈迦様の言葉を書いた仏教の本があったんです。日本の仏教には関心がなかったけれど、哲学書を読むのは好きだった。その時、「下手したら死ぬ」という状況だったから、人間の生死について考えたんでしょう。
本には「若さやお金、地位や名誉を人は求めるけれど、それらが失われていくことを嘆くより、今、あることに感謝したほうがいい」といった内容が書かれていました。アマゾンのど真ん中でその言葉に救われたのです。
――無事に帰国された後は?
小野 また数字に追われる日々が続いていました。当時は仏教にそれ以上、惹かれることもなく、ただ、その頃から週末は知り合いの東北の山奥の牧場に通って、牛の世話をしたり木こりをするようになりましたね。心のバランスをとろうとしていたのかもしれません。
――それから10年後、2022年にインドに行き、頭を丸めることになったきっかけは前編でたっぷりお聞きしましたが、小野さんの半生を聞いていると、宇宙物理から遺伝子研究、インターネット、マラソンと、バラバラのように見えて、ずっと何かを探してきたように思えます。
小野 まさにそうなんです。宇宙とは何か? 人間とは何か? 仮想世界とは何か? ベクトルはバラバラですが、今、思えば仏教へ通ずる道を歩いていたのだと気が付きました。
あれこれ将来を心配して考えても仕方ない
最近、仏教の勉強をしはじめて驚いたのですが、お釈迦様の言葉って、科学的で理論的で、今まで理系の自分が学んできた量子力学や生物学の世界に近いんですよ。「すべての生きとし生けるもの、自然から学ぶべき」とか、今の環境問題につながることも2500年前にすでにおっしゃっています。
宗教の役割とは平和と心の解放であり、自分の苦しみにどう向き合えばいいのかも書いてある。教えに矛盾がなくて、ストンと腹落ちしたんです。かのアインシュタインが、「仏教は近代科学と両立可能な唯一の宗教である」と言っていたのが今は分かる気がします。
――好きな仏教の教えは何ですか?
小野 「利他」という言葉です。自分のためではなく、他の人のために。そして行動せよと。祈るのも大事だけど、佐々井さんの「行動せよ」という教えがすっと入ってきて。
――佐々井さんは、何十万人の信者さんを前に、「泣いて祈っても神も仏も助けてくれません! 行動するあなたを仏は見ているんです」と言ってましたね。
小野 縛られていたものから全部、解き放たれて、欲望に対しても対処がうまくなりました。「こうでなければならない」から、「なるようにしかならない」と。未来は「未だ来ていない」と書きます。あれこれ将来を心配して考えても仕方ないことなのだと。今までって仕事でも趣味でも疑問に対して答えを作れるようにならないと、人間としての価値はないって考えていたんですけど(笑)。